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官兵衛と右近

NHKの大河ドラマ軍師官兵衛が人気なようだ。官兵衛は豊臣秀吉によって、九州征伐を命じられ、中津に領地をあてがわれる。熊本で地侍による一揆がおこり、佐々氏は抑えることができず、そうしているうちに中津でも宇都宮家による一揆が勃発し、官兵衛の息子長政が討伐に向かうが逆襲され、ほうぼうの態で帰って来る。結果、秀吉の怒りを買って、宇都宮を全滅に処すように沙汰が下る。このころから、秀吉と官兵衛の心がすれ違うのである。

高山右近は、高槻城主でキリシタン大名として城下の信望も厚かった。官兵衛も右近の影響によりキリシタンに回心、帰依した。しかし、あまりにも右近は信仰に熱心だったため、やがて秀吉が、警戒を始めることになる。外国からくる伴天連たちは、尊い教えばかりでなく、西洋の進んだ機械や、武器なども持ち込んだ。

彼らの狙いは日本をのっとる思いがあるのでは、と秀吉は警戒したのだ。そして、伴天連を国外へ追放する。すでに信仰を持っている者には棄教を強いることはしなかったが、右近に対しては厳しく迫り、キリシタンであることを棄てるように命じた。

しかし、右近は命に代えてもキリストを棄てることなどできなかった。それで、秀吉に逆らうこととなるのだが、右近はルソン島へ流されることになる。

官兵衛はそこまではっきりと信仰を前面に押し出してはいなかったが、最後までキリストを棄てることなく従った。そして、彼の主義として、いたずらに人の命を奪い去るようなことはしなかった。

二人の歩みは異なったかもしれないが、彼らはこころにいつもゼウス(イエス・キリスト)を仰いで生きていた。
「神が与える試練は人によって違います」と右近は、そのように言って官兵衛を諭した。確かに、人それぞれに試練はある。決して同じものではない。だから受け入れられるのではないか。

右近はルソン島でも、信仰を守り通し、信仰に生きぬいた。マニラには高山右近の像が今でもある。彼がどこにおいても輝いたことの証だ。すごいことだと思う。

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