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2009年4月

茶摘の季節

こいのぼり、茶摘と春の風物詩。わが家では昨日、家の近くの茶を手で摘んだ。親戚の人たちも一緒になって、それぞれ自分たちの分だけを摘んでいったのだが、朝のうちにおおよそ終わるだろうと余裕をもっていたら何のことはない、終わったのはもう夕方の6時前だった。

茶摘は最初は珍しさもあって一緒に話しながらわいわい楽しんでいるのだが、昼が過ぎて夕方が近くなると足や腰や痛くなって、おまけにただ摘むだけの単純作業に飽きがくる。こんな作業を1週間やれ、と言われたら投げ出したくなるかもしれない。仕事であればもちろんやるではあろうが、とっても、とっても進まない単純作業である。

今日は摘んだ茶を鉄の釜であぶって柔らかくし、手で揉んで炭火であぶる作業をした。これも毎年行なってはいるが、1日かかる仕事だ。炭を買ってくるようにいわれて買って行った炭がなんと不良品だった。バーベキュー用のものを買った。蓋をあけたら大きなものはちょっとだけ、後は砕けたものばかり。

大きなものは火に入れると煙が出る。なんで煙がでるのか。取り出してみたらまだ炭になっていない。中途半端な代物だった。ふつうの薪を黒くしただけではないか。ふざけた話だ。憤慨して箱をみると、メード・イン・マレーシアとある。日本製ではない。中国製品でもない。これでは肉も焼けない。スモークになりそうだ。

もっと樫でできた日本製の炭を買うべきだった。もう二度と同じ店では買うまいと思った。

茶はあともう一度炭火であぶってからからになってから茶の入れ物に入れて保存する。普段の茶よりは薄いが、茶色いまさしくお茶の色香を出したお茶となる。自家製のお茶はあと何年作れるだろうか。

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教育か、暴力か

小学2年生の男の子が先生のお尻を蹴ったので、先生はその子の胸を手でつかみ壁に押し付けた。それが暴力行為になるとして、その子の母親から訴えられ裁判となった。1審、2審では教師の行き過ぎた行為を暴力と認めて有罪となったが、最高裁では覆って、教師のとった行為は教育の一環の範囲に入るとして無罪となった。

この話を聞いて、どうして男の子が先生のお尻を蹴ったのかわからないが、少なくともそんなことを黙って許す人はいないだろう。自分だったらすぐに大声だして諌めると思う。短気な性格もあるが、許していいこと、悪いことの区別はしないといけない。それも教育である。

ただ、胸をつかんで押したことが、果たしてどうだったのか。その場に居合わせなかったので簡単にはいえないが、少なくとも非は男の子にある。諭すように話して教えるのも必要だろう。場合によったら、蹴られることはどんなものか、蹴られたらどんな気がするかを知らせる必要もある。だからといって、男の子を蹴飛ばせとはいわない。

自分にされたこと、相手にしたこと、どちらも嬉しいことであればともに喜べばいい。いやなことであれば今後はしないように教えるべきである。

母親が訴えるのも合点がいかない。このようなことをいちいち訴えていたら、教師も大変だ。やっていられない。もう少し、お互いに歩み寄って話し合う余地はなかったのか。ほんとうに世知辛い時代となったものである。

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豚インフルエンザ

なんでまた、このような病気がはやるのか。鳥でなく豚とは。しかもメキシコで。こんなゴールデンウィークの稼ぎ時なのに、メキシコ行きの旅行がキャンセルになると報じられている。だれかのいたずらか。降ってわいたような話である。

得体が知れない分、世界中でどのように対処していいのか困っているようだ。もちろん日本にも上陸してほしくない。だからと言って豚が悪いわけではない。当分豚肉は食べない、なんて考えは風評被害にもなる。

何かがあると騒ぐが、少し冷静になって物事を見るべきだと思う。日本に患者や疑わしい人がいるわけではない。だからいつものように生活すればいい。豚肉も、豚カツも、コロッケも食べていい。ただ自分の判断でではあるが。

メキシコに行っていた旅行者に症状が現れたというのが気になる。どんな症状が出るのだろう。熱、セキ、嘔吐、湿疹、、どうなのか。空気感染してあっという間に広まるのか。これから多くの日本人は旅行するだろう。安全のためにもマスクは携帯したほうがよさそうだ。それにしてもなんとも悪いタイミングである。

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定額給付金

国が国民一人一人に給付金を与える。これはありがたい。さっそく貯金をしよう、となったら政府の意図と反することになる。ちょうどゴールデンウィークに入るし、こんな時に思わぬボーナスが入ったら使っちゃおう、となるのを計算しているのか。

土日、祝日には高速料金も安くなるわけだし、思い切り車を使って遠出でもしよう、という気になれば個人消費につながる。その前に、払うべき税金や、年金や、保険料や、、、などと思わぬ出費が。せっかくの給付金もいつの間にか消えてでていっちまった。

そんなことにならないように、給付金でソファでも買おうかと女房殿は言っておった。ソファがそんな値段でアルカイダ。よくチラシを見ると10万円する物が2万とか、3万円で手に入るようだ。よほどベッドとか、ソファなどは売れないのか。でかいだけ場所をとることもある。

テレビでも飛ぶようには売れないのか、あの手この手のサービスをつけて販売している。ひとり1万2千円では、帯に短し、たすきに長しの感も否めない。文句を言うのはいけないが、果たしてこんな形で景気回復に役立つのか、今もって疑問である。

それでも与えられるものには、ありがとうと感謝。国は未来に借金をしながら今を繋いでいる。ツケはわれらの子や孫たちに。考えたら無責任なことだ。少しでも借金ではなく、せめて貯金を残せるようにしないといけない。

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Idolの宿命

 草なぎ剛さんの騒動はマスコミにより異常なほど報じられた。今でも取り上げられている。天下のNHKさえも謝罪会見を生で報じようとしたのだが、ジャニーズ事務所から待ったがかかったほどだ。

NHKは芸能に関してそこまで深く関わる必要性があるのだろうか。もう少し別な事件など報道することは多いはずだ。一個人を取り上げるのは小さくていい。そうでないとマスコミによるいじめみたいになって、見ているほうもいい加減にいやな思いにさせられる。

 もう許してあげたらどうだ、と多くの人の書き込みがある。自分ももういいんじゃない、そっとしてあげたらどう、と思う。それでもアイドルの宿命か、マスコミが執拗に追いかける。まるで殺人事件の犯人を追うように。異常である。日本は異常反応しすぎる。特にマスコミ関係者は。入籍、結婚、離婚、自殺、大麻、、、、そして泥酔。

 もしアイドルでなければニュースにはならなかったであろうに。スマップの一員でなければここまで大きくならなかっただろうに。総務大臣までもが苦言を呈することもなかっただろうに。十分に反省して、もう一度出直したらいい。もう酒はほどほどにして、そう思う。

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健康診断

町が行なう健康診断を受けた。尿検査、血の検査、体重、身長、眼底検査、心電図と問診もあった。7時からの受付なのにすでにたくさんの人がやってきていた。特に高齢者の姿が多い。お年寄りは早いからな。

結局は61番目のカードをもらった。尿検査では出るかどうかが気がかりだった。朝起きた時にトイレに行ったからだ。それは毎日の習慣で行かないといけない体となっている。あわてて水を飲んで出かけたのだが、いざコップを手にして出そうとすると少ししか出なくて、ま、いいかと思い提出。

血の検査のときは血管から注射器で抜かれるときの気分のわるいことと言えばない。なぜか、自分は血に弱いのである。中学時代に大けがをしたことも影響しているのだろう。血を抜くと血の気が引いて倒れるような気分になる。したがって献血はできない。

今回の結果は6月にわかる。前回は内科の先生に診てもらうよう手紙?をいただいてしまった。結局は行けていないが、今回も出されるような気もする。せっかく診察したのであれば、もっと診断を生かさないといけない。わかっていても面倒な思いと、こわさとがあって逡巡してしまうのだ。

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一本道

篤姫で語られた言葉「女の道は一本道」。つくずくとその意味のすごさに感嘆する。幕末を生きた篤姫の生き方を象徴する言葉である。そして混乱の中でも義のために命を捧げた人たちがいっぱいいた。

坂本竜馬、小松帯刀、西郷隆盛、大久保、。明治維新に貢献した人たちは自分の命をあずけて生き抜いたのである。だからこそドラマにもなるのだが、来年の大河ドラマは竜馬が取り上げられるそうだ。

さて目を転じてみれば、今の若者はどうだろう。義のために命を捧げるなどといえば、とたんにどこかに走り去っていきそうな気がする。自分のためには惜しみなく時間をとりたがるし、自分の楽しみのためであれば何でもしようとする。

昨日に起きたSMAPの一員の草薙剛の泥酔による破廉恥な出来事には唖然とさせられた。メンバーの中でもまじめで問題を起こさない感じの青年だっただけによけいに驚かされたのである。CMとか、ドラマ、バラエティなどテレビ番組に毎日のように出ていたので、知らない人は少ないはずだ。

地デジの宣伝でも出ているから影響力はある。なんでこんなことになったんかいな。芸能人の不始末が多すぎる。もっと人を感動させる人は出てこないのか。嘆かわしい。世のため人のため、国のために一本道を貫く御仁は現れぬか?篤姫もそう嘆いているのではないか。

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介護問題

元タレントの清水由貴子さんが介護の疲れからか自殺した。お父さんの墓石の前で、母も一緒にいたという。お母さんは介護が必要でそのためにタレント活動も休止していた。

テレビなどで観る彼女はとても元気のいい女性であった。おそらくいつも元気な人であったと思う。そして周囲には元気を与えてきた。しかし、自分のことや、家族のことはいっさいを自分ひとりで背負う思いが強かったのだと思う。

直接的には介護疲れが原因かもしれない。今の日本は介護を必要としている人たちに手を差し伸べるシステムが十分に整っているとはいいがたい。したがって家族の者が介護を負わないといけなくなる。多くの人たちが清水さんのような苦しみを味わいながら生活しているのではないだろうか。

これから先ますます老人は増える。介護問題はもっと深刻になってくる。政府はこのことを真剣に受け止めて何とか少しでも介護の必要な家族の負担が軽くなるようにしてほしい。

地方に住んでいると介護の必要な老人が多い。さらにはひとり暮らしの老人も多い。もしもの時にどうなるのかと思うと心配である。誰も知らないで数日がたっていたとなる可能性があるからだ。行政とともに地域のつながりをもっと蜜に持って独り暮らしの方や、介護の必要な人がさびしい思いをしないようにしたいものだ。清水さんのニュースは実に衝撃的であった。

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150年

日本にプロテスタント信仰がもたらされて150年になる。横浜開港も150周年を迎える。そんなことから、横浜においてキリスト教の記念行事が7月に行なわれる。日本に宣教した人に、ヘボンがいる。ヘボンといえばローマ字でもおなじみである。

日本はプロテスタント信仰をすぐに受け入れたわけではない。明治維新がなってしばらくたってから禁教令が解かれて、キリスト教を認めるようになった。それまではカトリック信仰が隠れキリシタンとして、江戸時代は細々と隠密のうちに受け継がれていた。

明治に入ってからでもキリスト教はすんなり受け入れられてはいない。ただ知識階層に受け入れられて、学校や病院など西洋文化とともに受け入れられていった。本質であるキリストを受け入れるよりも、キリスト教的な文化や教えに重きがおかれるようになった。

日本人の特質だろうか、知識には敬意を払う。より高度な知識や技術、地位や立場には一目も置くが、キリストには興味を示さない。キリストを部屋から追い出したラオデキアの教会のように、そこにはキリストがいないのである。

その流れは今も変わっていない。150年たってもキリストを信じて従っている人は人数的にはそんなに変わらないのである。もっと増えて当然なのになぜか人数的に変わらないでいる。

それでも影響を受けた人たちはいっぱいいる。どうか、ただ単に影響を受けるだけでなく、本当に生まれ変わって、キリストを真に救い主として信じて歩む人が起きるようにと願う。日本は神に祝福された国と言われるように、もっとキリストが現れてほしいのだ。150年。このまま維持するのではなく、ここから拡大発展することを祈るものである。

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こいのぼり

端午の節句も近づいてきた。鯉のぼりが立てられている風景を目にする。昔ほど鯉のぼりも見られなくなった。1軒のお家に立てるというより、川や公共施設に何匹も泳がせている鯉が見られる。

都会では団地用の小さなサイズを立てている。それもあまり見ないか。男の子が生まれた喜びをお祝いして鯉も精いっぱい泳いでいる。風がなければ下に垂れてお休中という感じである。

わが家では鯉のぼりは立ててやらなかった。やれなかったというべきか。それでも教会では5月とか、11月には子どものための祝福式をもって、特別にお祈りのときを持つ。別に男性、女性と関係はない。子どもであれば祝福してあげる。

イエスは子供たちを招き、抱いて祝福された。そして「この幼子のように心を入れ替えて信じなければ神の国に入ることはできない」と大人たちを諭されている。幼い子どもにも罪はある。しかし、幼い子どもには純粋さがある。純粋に神を信じる心がある。その純粋な心で神を信じるようにというのだ。

神は子供たちを愛しておられる。そして子供たちに祝福を与えて、真理の道をまっすぐに歩むようにと願っておられるのだ。鯉のように滝でも勇敢に上るように。

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キング牧師は「私には夢がある」と名説教を残した。そしてその夢がアメリカにおいて実現しつつある。黒人の大統領が誕生して、アメリカは変わってきた。それまでの歩みは決して楽ではなかった。

彼のような高尚な夢を見られるだろうか。私に夢はあるか。大川牧師が大隅を後にするときに「夢がないといけない。夢をもちなさい」と何度かすすめてくださった。夢かあ、とぼんやりと聞いていたが、本当に幻のない民は廃れ、滅んでいくしかない。

大隅という地は九州の果てに位置する。この半島にある小さな町を歩いて回って気づかされたことは、何と空き家が多いことか。何年も人が住んでいなかったのか、廃屋になって今にも崩れ落ちそうな家屋がある。

教会も幻や夢がないければ同じ運命を辿ることになる。かつては栄えていたが、今はほとんど人気がなく寂れている。そんな町に活気があろうはずがない。それでも教会は燃えていないといけない。夢が必要だ。

一本の薪では勢いがないかもしれないが、2本、3本と足していけば勢いは増す。夢を持つ人が増えていけば勢いは増す。若かろうが、若くなかろうが、物があろうが、なかろうが関係ない。主にあって夢をビジョンを持つことが最も大事だ。自分に夢があるか。

I have a dream! 強く叫んで、この夢に向って進んで行きたいものである。

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十字架への道

御国へとみな勇ましく進もうとするけれど

十字架を負う者はどこにいるのか

神の称賛を我こそ得んと みな争うけれど

世を辞する者はどこにいるのだろうか

主の道を歩む気など実はないのに

神の祝福を求める者ばかり

誰もみな主と共なる宴につかんとするけれど

このお方のために食を断つ者さえ多くはない

神とともに賛美をささげる者は多くても

慎み深く目を覚ましていることもできない

こぞって主の栄光を得んと慕い求めるけれど

イエスの辱めを身に負わんとする者など殆どいない

神が全てを備えてくだされば大いに賛美するけれど

ほんの少しでも自分に求められれば直ちにつぶやく

しかし、誠実に神を愛する人は過も幸も問うことなく

心のありのたけを主のために差し出す

ああ神よ 自らの生死をも忘れるほどに

ひたむきに真心を尽くす忠実な者へと

この私を変えてください

中国の伝道者の歌(命の水の計画・ニュースレターより)

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3085

ついにイチローのシーズンが始まった。WBCでの活躍、その後は体調が思わしくなくて大リーグのシーズンが始まっても、DL入りで試合に出場できなかった。十分すぎる休養をとって、やっと今日から解禁。彼のシーズンが始まった。

いきなり日本のプロ野球で活躍した張本勲氏のプロ野球最多安打記録3085本が待っていた。あと2本。今日達成できるかどうか、本当に楽しみな1戦。今日はエンゼルスとの戦い。セーヒコフィールドには42番をつけたイチローがいた。あれ?確か51番じゃ。良く見ると両チームの選手たちの背番号はみんな42番。

そんな特別の日に、特別な記録がかかっていたが、彼は記録の3085本目をなんと満塁ホームランで達成した。これ以上ありえない方法で達成したのだ。区切りの時は狙うみたいなコメントはしていたようだが、狙っても打てるものではない。本当にこの日を待っていたのであろう。その思いを一発で決めた。本当におめでとう。これからは自分の記録が新記録となる。9年連続200安打。これは新記録となる。休んだ分はこれから取り返さないといけないが、イチローであればやってくれるだろう。期待している。

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携帯機種変更

携帯電話を水に落として使えなくなった。それで販売店に出かけて、修理ができるか尋ねてみた。保険みたいなものに入っていたので無料かと思ったら、安くても5千円以上はかかるとのことだった。

それでは何のために保険料を払ってきたのか。もし入っていなかったら、その場合、2万円以上はかかる。そして今までの情報は全部消して新しい状態にして返ってくるrとのことだ。

修理しても情報は消える。それだったら機種変更して新しい電話機にしたほうがいいではないか。そう思ってお願いした。もう24ヶ月たっているはずだから、すっきり変更できると思っていたら、実際は26ヶ月かかり、あと3ヶ月分は残っているとのこと。なんやわからん説明に何度も聞き返しつつ、結局は変更手続きを行なった。

あくまでもこれは家内の携帯なのだが、名義人が自分なので一緒に付き合わされていくことになった。最近はたいていワンセグのテレビも見られる。画面も今までのものより大きい。アクオスだ。小さい画面だけれどもこれでもちゃんとテレビが見られる。液晶の大画面を買う必要はないじゃん。

変更手続きが済んだら、今までのメールがどっと送られて来ていた。いらないDMなどが送られても拒絶できるようにセットしてもらった。メールを受け取るだけでもお金がかかる。URLのメールだと余計にかかるようだ。もうこれで大丈夫だろう。ま、ちょっと安心した。

携帯がないかったばかりに、連絡が行き渡らなくて不便が生じていたから。新しいものを見たら自分も替えたくなってしまった。

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主の恵みを見て喜んだ

昨日は「春のミラクル集会」と銘打って、特別な集会を持たせていただいた。近所の教会も共同参加されて、出席人数が23名となった。わが礼拝の場所はこれ以上入るのはむつかしい、というところまでいっぱいとなった。

講師の大川先生は、「キリストの愛と希望」について語ってくださった。自分の生い立ちから、教会に導かれて信仰を持つにいたった経緯。そして現在神さまの恵みによって牧師としての働きをしておられることを力強く語っていただいた。

希望をもって生きるために、キリストの救いが必要である。救いを受けるのには恵みが必要である。実際、イエス・キリストは私たちの罪を赦すために、自分のいのちを捨てて十字架にかかって死んでくださった。信仰によって恵みによって義とされる。

おかげさま、というが、キリストのおかげさまにより、罪が赦されて、晴れてクリスチャンとされている。まさしくハレルヤな道を歩かせていただいているのだ。

集会の終わりには、大川先生より病気のいやしのために、一人ずつ手を置いて祈っていただいた。実に力強い祈りであった。み言葉の告白と確信に満ちた祈り。いやされた、という証が与えられるように願った。

遠い高知からわざわざ来ていただいて、尊いメッセージを取り次いでくださった。そのご愛に心から感謝する。先生は帰る道すがら車中にて「神の恵みを見て喜んだ」というみ言葉を教えられたことを話してくださった。まだまだこれからであるが、こういう貴重な時を与えてくださった主に心から感謝するものである。

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春のミラクル集会

明日の朝、わが教会では特別集会を持つことになっている。「春のミラクル集会」である。ミラクルというからには奇跡的な出来事がないとおかしい。実は講師として来られる大川師は、「私にはいやしの賜物(タラント)がありますから、特に祈りを必要としている病気の方や、苦労している人、悩みを抱えている人たちを、ぜひ誘ってください」と言われているのだ。

大川師は純粋な教会の牧師である。京大の文学部の大学院まで出ておられる。言語に関しては英語はもちろん、ギリシャ語、ヘブル語と聖書の原典をそのまま読むことができる。大学でも助教授の仕事をされていたが、牧師に専念するため、その仕事をささげられた。

そんな先生だが、信仰の力、祈りの力を説いておられる。病人に手をおけばいやされる。手を置くだけでなく、手を置いて主イエスの名によってお祈りすればいやされる。それを鮮やかに体験できるので、ミラクル集会となるのだ。

実際に明日の礼拝で多くの方が来会されて、お祈りしてもらうなら、その恵みにあずかることができる。

明日は、主が復活されたのを記念する復活祭の日でもある。全国的に、いや全世界的に、主の復活が教会でお祝いされる。十字架で死に、墓に葬られてから、三日目に主はよみがえられた。「わたしはよみがえりであり、いのちである。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」と主は語っておられる。明日はよみがえりを記念する日。そんな大きな祝福が教会において起きることを期待したい。

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橋下知事ファン

80歳代のおばあちゃんから「橋下知事のファンだから大阪の福祉のために使って」と1億円の寄付の申し出があった。そしてふたつのリュックに詰められた万札を出したそうだ。額もすごいが、この女性の心意気もすごい。

こつこつためたお金だから大事に使いたい。それを大阪府政に使ってと家族同伴で現れたそうだ。家族も了承しての出来事である。世知辛い世の中だ。そんな大金があれば必ず揉め事があるはず。それをおさめて人のため、大阪府のためにと与えるこころは何と大きい。

受け取った橋下知事はさぞかし嬉しかったであろう。大阪府の財政は火の車である。できることは次々と切り詰めていかないといけない。大なたをふるうことで反発もされてきた。今は国との公共事業の分担金のことで直談判したりと、知事の行動が際立っている。今までが言いなりだったせいで、国民もあまり知らなかった国と地方との関係が見えてきている。

それを後押ししてくれるファンなる府民や市民がいることは心強い限りである。堂々と地域発展のために改革を進めてもらいたい。それにしても1億円の寄付とは、さすがに大阪だ。驚くほかない。

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雑草

春となると、とたんに生えてくる雑草である。庭に生えだして見苦しくなってきたので、最初は草取りしていたが、これでは時間がいくらあっても終わらないと、除草剤を撒くことにした。

除草剤は夕方まいたほうがいい、と言われたが夕方はいそがしい。少々暑い日中ではあったが、除草剤を噴霧器でまいた。小さな噴霧器なのでたくさんは無理だろうと思っていたら、けっこうな面積を撒くことができた。一度ですんだのでよかった。

これからは何度も草が生えて、とってもとっても下から生える。しかし、ほっておいたら手に負えなくなるからまめにやらないといけない。

ナナメ向かいの空き地にはずっと手入れがされておらず、毎年雑草とウルシの木がうっそうと生えて風通しが悪くなっていた。昨年は冬になる前に除草剤がまかれて、それで枯れてしまったのかウルシの木は未だに芽を出していない。よほど強い薬だったのか。

それでも新しい雑草が生えて来ている。日本の地ではよほどのことがない限り草は生えてくるのだと思わされた。枯葉剤ならぬ枯木剤。あの薬は劇薬だったに違いない。今日使った薬は何百倍にも薄めたから人体には影響はない。薄めすぎて草が枯れなかったら何にもならないが・・。

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楽天

楽天が開幕4連勝と波に乗っている。初めての出来事で、監督の野村さんもうれしそうだ。ぼやきの切れが一段と増している。昨夜はマー君が完封勝ちしてウイニングボールを手渡していた。まさに有言実行した。

田中マー君は20歳。この前のWBCにも選ばれて中継ぎではあったが起用されている。三振しかないところで三振をとった。あのときの記憶は残っている。あの経験が生きているのだろう。投球に自信がみなぎっていた。

日本のエースに成長していることをうれしく思う。斎藤と投げ合った甲子園はずっと前のように思うが、あれからずいぶん成長し風格さえ漂うようになった。楽天は上手に育てているといえる。今年の楽天は違う、と思わせる強さがある。

セ・リーグに比べてパ・リーグは放送される機会も少ない。それでも最近はパのほうが断然おもしろい。WBCで活躍したのもパの選手が目立った。ダル、岩隈、杉内、中島、、、もちろん大リーガーもいた。イチロー、松坂、城島、彼らもパの出身である。

さて今年はどのチームが優勝するか。最後までもつれるかもしれない。WBCのお陰でプロ野球に人気が出てきたのではないか、と思う。

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水の泡

携帯を水に落とした。完全に消えてしまった。落としたのは自分ではないが、家内が自分のものを過って落としてしまったのだ。こういうものは何と水に弱いものか。一度水に入ると、もう死んだ状態になる。

どうしたら生き返るのか。一応、水を拭いて、中の電池やらを取り出して干していたが、再度セットしても変わらない。中が壊れてしまったのだろう。せっかくの情報がみんな消えてしまったのではないか。

写真はカードに収めていたので、たぶん大丈夫と思うが、メールアドレスや携帯番号など中に入っていた情報は消えてしまったかもしれない。なんてことだ。

これから販売店に持っていって修理できるかどうか確かめたい。修理費が余分にかかるようだったら機種変更するか。およそ2年たつのでお金はそんなにかからないと思うがどうだろうか。

こんな経験はきっと多くの人がしているかも知れない。生き返ってくれたらそれでいいが、どうしても回復しなければ一からやり直しをしないとならなくなる。電話帳がわりにたくさん登録していた人なら、それは大変だ。仕事に差し支えよう。幸い家内の場合は、自分の情報と重なるところが多いので何とかなると思う。忙しい時にこんなことは起きるのだ。

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はた迷惑

朝鮮民主主義人民共和国、通称北朝鮮が5日午前11時半頃にミサイルとみられる飛翔体を発射した。日本の上空を越えて太平洋上に二段目が落下、着水した模様。

北朝鮮は衛星ロケットを飛ばして成功したと言っている。地球上を楕円軌道に乗って将軍様をたたえる音楽を鳴らせながら回っているそうだ。当然、回っている姿を見た人はいないし、将軍様をたたえる音楽を聞いた人はいない。

あれだけ世界の国々が打ち上げ中止を叫んだのに、北朝鮮は言うことも聞かず強行した。打ち上げだけでも300億円の費用がかかった。これは北朝鮮の国民の一年分の食糧を満たす金額だという。打ち上げをしなければ何万人の命が救われただろうか。

未だに飢えで苦しみ、寒さで凍えている人が何百万といる。あまりにも国民を無視した国。かわいそうを通り越してあきれ果ててしまう。そんな国が核爆弾を開発し、ミサイルまで開発したら、どれだけ周りの国は脅威にさらされるか。日本は真っ先の標的とされるではないか。

今回のことで少しは日本の国民も目がさめたかもしれない。のんびりと花見しているところに隣国から飛翔体が恐い爆弾を搭載してやってきたら、一瞬のうちに終わりとなる。平和はいつ壊されるかわからない。どうすればいいのだろうか。話し合いで仲良くできる国ではない。これからも隣国であり続けることを思うと憂鬱なことである。まことに、はた迷惑な国である。

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プレッシャーだったのか

イチローが胃潰瘍で戦線離脱、DL入りして休養するという。少なくとも公式戦8試合は出られない。まことに残念である。マリナーズに入団してから休んだことがなかった。連続出場も現役では4位だった。それが途絶える。

WBCで相当神経を使ったのだろう。確かにつらい、タフな戦いが続いた。ヒットを打てていたら違っただろうが、なかなか打てない。イチローも人の子だ。全能ではない。打てないと余計なことまで考える。最後に花を咲かせたのはさすがだが、その代償が胃潰瘍。それも勲章と思うべきか。

WBCで優勝したことに、どれだけ日本の人たちは勇気づけられ、元気をもらったことか。それは計り知ることができない。

イチローには連続してシーズン200本安打がかかっている。8試合のハンディはつらいが、イチローであればちゃんと帳尻を合わせてクリアしてくれるだろう。今まで病気もけがもなくやってきたことに脅威を感じる。さすがに自己管理がうまいのだろう。

早くよくなって元気な姿をファンの前に見せてほしい。

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与えよ

「与えなさい。そうすれば与え返されるであろう。」これはイエスの言葉である。「人を潤す者は自分も潤される。」これはソロモンの箴言にある言葉。そもそも愛とは惜しみなく与えることである。惜しみなく与える人は人々から愛される。それが真理である。

逆の場合もやはり言える。奪うものは人々から憎まれる。奪い取る者には幸せはやってこない。そしてなお貧しくなって生きることになろう。これも真理である。どうせなら与えて幸せになりたい。

しかし、自分の中には貧乏根性がどうしても潜んでいる。これをなくさないとならない。与えることを惜しんでしまう。自分のものにしようと考える。欲深い性質である。そんな欲から解放されて生きたい。

先日、ある方をお見舞いした。病気が長びいて苦しい生活をされている。椅子に座ることもできない。立っているか、横になっているしかない。大変だなと思わされた。人の健康はいつ損なわれるかわからない。病気のお見舞いにいけてよかった。

もう一人、病気の方がいたのでその人も電車やバスを乗り継いでお見舞いに行った。その方も深刻な病気なはずだったのだが、手術を受けられてからみるみる回復されて、だいぶ良くなってきておられた。信仰の力と言おうか、そうとしか考えられない。

さて、時間や体力などを使い、お金も使ってお見舞いに行った。自分には何かできる力はない。ただ顔を見てお話し、最後にお祈りして帰ってきたが、不思議にもこころには喜びと平安が与えられた。そして不思議にも経済的な必要も与えられた。自分が与えた分が与え返されて、戻ってきたのだ。

だったらプラス、マイナスゼロではないか。そうではない。どちらもプラス、益になったのだ。与えてプラス。与え返されてプラス。どちらにも感謝というこころが与えられ、喜びが残った。与えよ。与え返させる。これを知れば知るほどに、真理が深いことを知るようになる。

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葬儀

ここ1週間のうちに、親戚関係の方が続けて亡くなった。今日はいとこの義理のお母さんのお葬儀が行なわれたので参列した。95歳。ここ数年は病院の養老医療施設に入っておられた。

直接にお目にかかることもなかったのだが、親戚ということで顔を出した次第である。この場合、参加すべきかどうかは判断しにくい。知り合いであったり、親戚だったりしたらどこまで参列したらいいか。それは個人の判断に任されている。義務はないが、義理はある。

とくに田舎では義理立てのうるさい社会だ。付き合いが悪いと村八分とされる。どんなに付き合いが悪くとも葬儀だけは参加するのがしきたり。それでも限度はある。

今回は義理でいったわけではないが、95歳となれば大往生と見られる。自分だったらそこまで生きられるか、自信はない。なるたけなら誰にも迷惑をかけずに召されたい。そしていい一生だった、感謝だ、わが人生に悔いなし!と一言叫んで逝きたいものだ。

今日の葬式は神式で行なわれた。3人の神主が白装束で祝詞(?)をあげお払いをしていた。仏式と違うのは日本語でわかり良いことか。焼香でなく、玉ぐし。手をなんどか合わせておじぎをする。参列者が全員行なうのだが、自分は一応前に出て、皆と同じように立ってお祈りだけして帰った。もちろんご遺族には丁重にお辞儀をした。

葬祭の式場にいて、ここはあんまり来たくはない場所だと思いながら過ごした。春なのに肌寒い。花が飾ってあるためか暖房は入れていない。足元が冷えた。

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関西へ

教会の用事で関西地方に行った。桜が満開かな?と期待していたが、桜はまだこれからのようだった。昨日は4月1日。新しい年度の始まりである。教会の集まりである総会でも、一年の経過報告とこれからの計画などが話し合われた。

宿舎の近くにはD大がある。新しく学園都市を築いている地域である。その大学の入学式が行なわれたようで、新しいスーツを身につけた学生たちが何人も見受けられた。天候は晴れたり曇ったりで、気温は低かった。

昨夜に大阪空港から鹿児島に戻って来たのだが、飛行機がQ400というプロペラ機。いつもとは時間にして30分ほど余計にかかる。鹿児島に着いたら8時20分。店はどこも閉まっている。空港内がひっそりとした感じである。

空港バスは9時15分が最終。それまで待たないといけないのか、まずは乗車券を買っておくか。その前に、携帯の電源を入れないとと思って入れたら、家内からのメールがいきなり入ってきた。空港まで迎えに来たよ~~、とのこと。やれやれ乗車券を買わないでよかった。ほどなく家内と会って、そのまま運転して帰った。

途中で鹿児島ラーメン店に入ってラーメンで腹ごしらえ。結構おいしかった。家に着いたらもう10時30分。3日間、留守していたが特に変わったことはなかったようだ。それでも、自分はいろんな人と出会って、いろんなことを学んだりした。病気で苦しんでいる人のお宅にも伺うことができた。ただ顔を見て、ただお祈りして、そして帰って来ただけだけど、会う機会は限られている。会えてほんとうによかった。

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