« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月

ねこ

わが家には3匹の猫がいる。すべて家の中で飼っており、外には出さない。出せないのが本当の理由。外には野良猫もいるし、何よりも慣れない場所をうろついていると、道路上でひかれてしまう危険がある。

それでも今からは猫たちの求愛の季節なのか。わが家の周りにはいろんな猫が出没する。そしてそこいらにマーキングするのか、とってもすごい臭いがする。臭い消しに何かをスプレーするとか妻は言っていた。

春が来たのか。野良猫はだいぶ少なくなっているが、家で飼われている猫があちこちと徘徊しているのだろう。それでも猫には縄張り意識があると聞いた。勝手に他のところに入りこむと争いが起きる。猫のケンカはとっても激しい。

わが家の物置が猫の住処とならないように注意しないといけない。うっかりするとそんなところで産んでしまうから。生まれたての猫、子猫はとてもかわいいものだが、いずれは大人の猫に成長する。飼うとなるとそれなりの覚悟が必要だ。わが家の猫の世話はほとんど妻がやっている。猫たちは感謝しているのだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

天気が悪い

最近は雨か曇りかの連続である。気温はさほど低くはないが、お日様が出ていない分、寒く感じる毎日だ。東京は今日は雪が降っているようだ。めずらしい。春の陽気もあれば、真冬の寒さもある2月も、明日で終わる。早いものだ。

3月の声を聞くともっと早く時間が過ぎる気がする。受験も大詰めになるし、卒業、入学、入社といろんな人の移り変わりの時期となる。今年ほど景気に左右される年はないだろう。大学は出たけれどの再来を思わせる。

天候不順というか、いつもよりも早くなっている。だいたい3月に梅雨を思わせる長雨があるのだが、もうすでに始まっているようだ。雨になると花粉はそんなに飛ばないので、その点はうれしい。しかし、日照不足で農作物には影響がある。そういえば、南薩摩のほうに雹が降って作物が被害を受けた。なにやら副振動という現象も起きて船がひっくり返ったり、増水して床下浸水の被害も出ている。おかしな世の中になったものだ。天候も、人様もだいぶおかしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

さくら

歌の題ではない。2011年度から走る九州・山陽新幹線の新しい車両の名前が「さくら」に決定した。さくらは以前、ブルートレインで走っていたが、今回、新幹線で復活した。いかにも日本的な名前でいいのではないか。

まだ九州新幹線が全線は開通していないが、それでも鹿児島中央と新八代間を「つばめ」という車両で走っている。内装も外観も他の新幹線とは違って特長がある。内装には木材を生かして使われているらしい。まだ一度も乗ったことのない身であるが、静かで横揺れがしないそうだ。

さくらは鹿児島と大阪の間を約4時間で走るそうだ。相当の時間短縮となる。博多で乗り換え市内ですむし、乗り降りの手間が省けるのはいい。今は何度も乗り換えないと大阪までは行けない。

4時間となると、飛行機と比べると時間的には一緒くらいか。費用はどちらが高くつくか。飛行機の嫌いな人にとっては新幹線が楽だろう。大隅の人にとっては、鹿児島中央駅まで行くのに2時間以上かかるのが、なんとも苦しい。途中、フェリーでわたるのがロスである。飛行場に行くにも2時間近くかかる。どちらがいいのかはまだわからない。

ただ順調に2011年の春に開通するかどうか、今の不景気の中では遅れそうな予感がしないでもない。春に「さくら」開通。いい感じなのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

さすが直るものだ

車の検査の時期が来ていたのでお願いした。いつも同級生の経営する工場にお願いしている。今回もそうしたのだが、買い換えようか迷いながら検査の時期を迎えてしまった。迷いの原因は、まだ結構走れそうだったのだけれども、どのあたりかわからないがゴーという音がして心配だった。高速道路で調子よく走っていたらタイヤが外れるのではという心配である。

それで音がしないように直してもらおうとお願いした。果たして直るものかどうか、不安はあった。しかし、帰って来たわが車はちゃんと直っていた。音は前輪右からしていたようだ。ベアリング部分。両方を替えたとか。タイヤも替えたと。請求書を見てお・ど・ろ・きでした。

しゃ~ないか。タイヤも替えたしな。今までとか全然違う乗り心地に満足している。きっと燃費もよくなるだろう。少なくともあと2年はがんばって乗らないといけない。エコ替えとか宣伝しているけれど、替える余裕のある人は少ないのじゃ。今はガマンのときだ。修理すれば直るのだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

オスカー2冠

アカデミー賞の発表で日本人の作品が2つもオスカーを手にした。快挙である。特に「おくりびと」と最有力視されていなかっただけに、アメリカメディアでも驚きの声があがっている。作品を観ていないのでどうこうということはできないが、とにかく日本の作品が高評価を得たことに喜びを覚える。

死者を送る準備をする。その荘厳なときを描写するなど、発想の観点がすばらしい。本木さんが10年以上も前から温めていた作品だったそうだ。日本人のわびやさびを感じされるひとつひとつの所作、死人を悼む思い、そして死を荘厳な出来事として受けとめる。それはまた生への尊厳を表す。

死は万国共通。あまりにも今の世界は悲惨な死を迎える人が多い。同じいのちであっても扱いが違いすぎる。まるで虫けらのように扱われることもある。もっと死人に対して尊厳さをもって扱わないといけない。どのような宗教であろうとも、その思いは変わることはない。

もうひとつの「つみきの家」も短編のアニメであるが、家族愛を説いている。家族の愛も万国共通。言葉はいらない。だから評価されたのだと思う。この作品の監督は鹿児島出身の方である。同じオスカーでも「おくりびと」の方が大きく扱われていて、影が少々薄くなっているが、それでもすばらしい。日本の芸術が認められて来ている証明である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

詩篇読む

人生はいいこともあれば、よくない、つらいこともある。それが人生。いろいろである。今は100年に一度の大不況だそうだから、こんなときはただひたすら耐えないといけないのか。これからの日本経済はまだ冷え込む予想だ。だんだん春が近づいているというのに、日本の明日はくらい。

政治が機能しないから、100年に一度の未曾有の危機といわれても本当に政治家はその意識があるのか、どうか。政局にばかり気持ちが行っているようにしか見えない。

詩篇は人生を前向きにさせてくれる。多くはダビデが書いているのだが、ダビデとて人の子、絶頂期に不倫の罪を犯し、さらには相手の夫を策略をもって殺害した。人は王のすることをとがめることはできない。しかし、神はその行為をお許しにならなかった。

神が預言者を遣わして、ダビデの犯した罪を示された。ダビデは賢い人であり、心の純粋な人であった。だから即座に罪を認め、神のみ前に悔い改めていった。「わしゃ王様だぞ。生意気なことを言うな!」と預言者に対して言わなかった。

だから神はその罪をお赦しになった。過ちは誰にもある。それを素直に認めて、心から悔い改めて歩み出すなら、神はもう一度祝福を与えてくださる。

日本経済は順調に推移していたが、ここに来てマイナス成長に転じている。今こそ真の神を認めて歩み出すときではないだろうか。指導者もぜひ聖書を読んでほしいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

合同礼拝

隣りの町の教会と合同の礼拝を持った。今まで合同賛美集会とか、合同クリスマス会は持ったことがあるが、礼拝は初めてだった。果たしてどうなるか、少々の不安はあったが、それよりも神の祝福があるとの信仰が与えられて進めることができた。

10時から始める。すでに隣町の教会の方々は早くから集って来られていた。わが教会員はどうしたことか時間が迫っても集まりが遅い。やきもきしながら集会を始めた。

賛美を主に捧げた。教会でも賛美のスタイルは違う。いわゆる式次第にのっとって賛美をされると流れが途切れてしまう。賛美は流れが大事だ。次何番、次何番、と機械的にしていてはブツリ、ブツリと流れは切れてしまう。そして霊的な恵みが与えられない。そんなことで、今回はこちらスタイルで進めさせてもらった。

賛美、メッセージと流れは悪くなかったと思う。恵まれたという感想をいただいた。もっと主の働かれる余地を作らないといけないと思わされた。自分の力でやっていては、それはその人の力なのだから、主よ、どうぞお働きください、と心から願うようにしたい。合同礼拝はこちらの提案で実現したのだが、主の豊かな恵みによって導かれた。今度は4月に行なう予定である。主の祝福がありますように!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

つわぶき

大隅広域公園のすぐ近くに「つわぶき」という食堂兼産地土産物屋がある。昨年もここを訪れて昼食を妻と取った。味噌煮うどんがおいしい。今回はここの招待券をミニFMに応募したらペア券をゲットできたので、それを利用することになったのである。

まだ12時には少しある時間帯を選んで訪れた。先客はほとんどなかった。券が使えるかどうかを確認して注文した。OKということで、味噌煮うどんを注文。うどんに豚肉なども入れてあり、どちらかというとラーメンのダシのようでもあるが、結構おいしい。

うどんのお鉢も大きい。何よりもタダというのが最高の魅力であった。ここは結構町からは外れているのだが、お客は多い。人気があるのだろう。そういえば前回来たときに来ていたKさんが、今回も来ていたのであいさつをして、「もしや毎日来ているんじゃないですよね」と。

予感はしていたが、まさか再会するとはなんという偶然であろう。こちらは年に数回くらしか訪れないのに。それだけおいしいし、値段も手ごろということだろう。ちなみに味噌煮こみうどんはひとり580円である。ラーメンもある。お好きな方は訪れてみてはいかがかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

菜の花

春が近づいている。田んぼや畑にはすでに菜の花が咲いて春が来たよと教えている。隣りのおばさんが、この菜の花を使って料理するのが大好きで、毎日のように田んぼや畑に出かけて菜の花のつぼみを摘んで来ては湯がいて料理している。

おいしいからとわが家にも持ってきて分けてもらった。確かに食感はブロッコリーのようでけっこういける。野にあるものだからお金はかからないし、取立てだから新鮮だ。時季のものだから、すぐに無くなるのだが、湯がいてそのまま冷凍保存しておけばいつでも使えるらしい。

わが家にはそういって、竹の子などがずっと冷凍庫に眠っている。竹の子のもいろんな種類があって、大きな孟宗竹ではなく、小さな竹のその子どもをかいて、そして湯がくのである。こればかり続けて食べるのはいい加減飽きるが、物が無い時には重宝する。

菜の花も立派な食材である。実家には大根も菜園場に植えてある。もらいにたまに行くのだが、大根葉もそのままつけて持ってくる。そして葉っぱも食材として料理するのである。捨てる所なんてない。田舎の生活で一番いいところは、いつも新鮮なものがあるということである。そういう意味では実に恵まれている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

14年

My life is in His hand.

わが子が亡くなってからちょうど14目を迎える。まだ幼稚園児だった。病気で急に容態が悪化していってしまった。カゼだろうと安易に考えていたのがいけなかったのだが、まさかこんなことになるとは思いもかけないことだった。インフルエンザ、はしか、、、病気を甘く見てはいけない。

息子もハシカで亡くなった。いまどきハシカも珍しい、と言われた。病気はいつどのようなときに襲うかわからない。用心する必要が常にある。

命日を迎えるのは複雑なものである。あの頃のことを否が応でも思い出さないわけにいかない。今日は曇りで肌寒いが、あの日はどうだったか。晴れていたかようにも思う。朝方息を引き取ったときは、頭は真っ白になっていた。ただ、ただ「すまない」という思いが支配していた。守ってあげられなくてすまない。自分が悪かった・・・・。妻も、自分も自分だけを責めていた。

前夜式、葬儀とあまりにもあわただしく過ぎたので、その後の数日は余裕はなかった。目の前のことを済ます。それだけで精いっぱいだった。

今は思う。人の命は神の御手にあることを。自分の命もいつまで続くかは知らない。知らなくてもいい。ただ、神の御手の中にあることを知っている。だからこそ無駄にしてはいけない。いいかげんにして費やしてはならないと思わされている。

息子が先立ったことで、天国を身近に感じるようになった。漠然と天国を思うのでなく、確実に、もっとリアルに思うようになった。これは幸いである。息子は賛美が大好きだった。今日は好きであった賛美をかけてあげよう。一緒に主を賛美する気持ちでいようと思ふ。

.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

県下一周マラソン

今年も県下一周マラソンが行なわれている。今日はわが町を走る。ちょうど午後2時過ぎに先頭が走る予定だ。肝属チームは昨日まで8位と遅れている。今日は4位で入ってきた。高山から鹿屋まであと1区残されている。さてさて順位をあげられるかどうか。

昨年は沿道に出て行き小旗を振って声援したのだが、今年はラジオの中継を聞いて家の中で応援した。外は抜けるような青空なのだが、それが曲者。花粉が非常に多くて、ちょっと外にいると5分もしないうちにくしゃみと鼻水が出てとまらなくなる。おまけに目もかゆくなるので外に出たくなかった。

家内も朝方そとで掃除をしていたら鼻の調子が悪くなって困り果てていた。夫婦仲良く花粉症に苦しんでいるのである。もっと若い頃はさらに酷かった。たえず鼻水が出て、くしゃみは一度で出すと20連発くらい、すごい勢いで出てくる。そうして体力が消耗して鼻もつまり最悪な気分になる。

だから春になるのが憂鬱になったものだ。いまも憂鬱さは変わらないが以前ほど症状が酷くならないので少しはましな気分でいる。外で走っている選手で花粉症の人がいたら大変だろうな。走りつつ、くしゃみをし、走りつつ鼻をかむ。鼻が詰まったら息ができねーと言いながら走らないといけない。晴れた空がうらめしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3個ももらったゾイ

14日はバレンタィンデーだった。最近はさっぱりという感じだったが、今回はどういうわけか3個ももらってしまった。ひとつは妻から、しかも翌日になってから「はい。売れ残りじゃないからね。」と渡された。「あんがと」

もうひとつも翌日に、ちょうど結婚式があって司式をしたのだが、式が終わってから聖歌隊の人から「はい、ちょこっとしたものですけど、どーぞ」「え~、ありがとう、すんません。」ちょこっととはシャレている。

もうひとつは、14日のこと。ちょうど車が車検で出さないといけなかった。引き取りに来てくれた車屋さんの奥さんが代車に乗ってきて「はい。どうぞ」といきなり渡された。家内も自分もなんやろ、とびっくりした。今日はお客さんが来られたらみんなに渡しているのだそうだ。義理でもなく、ついでのチョコ。おまけにドリンク剤まで入っていた。

今年は逆チョコというのもあったそうで、あの手この手で菓子業界も売り込もうと大変なようだ。最近はチョコなどはめったに食べない。体のためを考えて食べないように心掛けてるのである。「いただいたならちゃんとお返ししないとだめよ」と妻の一言。そうだにゃ~。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お買い物

久米明と渡辺美佐子のドラマを見ていた。NHKであったドラマである。久米明といえばナレーションで独特な雰囲気の声が心地よく耳に残っている。鶴瓶の家族に乾杯でもナレーターとして番組をふんわかとして盛り上げている。

このドラマも絶妙な夫婦を演じていた。まるで地でいっている感じであるが、本当はあんなによぼよぼしてはいない。渡辺美佐子にしてもそうだ。それなのに実年齢のような、本当の夫婦のような味わい。絶妙だ。

わが父母もだいたい同じ年齢なので、もし両親が田舎から突然、東京の渋谷とかに行きたいと言い出したら結構驚くだろう。行くとなったらまさしく珍道中となるだろうな。何よりも無事に行って、帰ってこれるかが心配でたまらないだろう。

喉がかわいたから喫茶店に行ってコーヒーを飲みましょう、と言って入ったはいいが、ブルマンとか、キリマンジャロとか注文しても置いてない、と言われる。昔と今は違う。よくわからない品を注文したのはいいが、出てきた物は堅くて飲めない。重油みたいだ!と言ったのには笑った。

お買い物は昔の写真機を買うのだが、昔だったら家一軒はした、というセリフにほんまかいな、と驚いた。今だったらデジカメなどいっぱいある。何も昔のカメラを使わなくてもと思うが、そこが好きな人は違うのだろう。シャッター音、ピントの合わせ具合、なによりもフィルムを使って写すことへのこだわり。昔気質のこだわりである。笑いありのドラマだったが、いろいろと考えさせるものがあった。俳優の演技力に乾杯である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春一番

昨日は春一番が吹いた。強い南風のおかげで気温は上昇し、いつもたくさん着ている服をぬいでも暑いくらいだった。夜中に雨も降ったようだが朝方はやんでおり、もう薄日が差し込んでいる。

最近は花粉や、中国大陸からの黄砂、桜島の噴煙による降灰と天から降ってくる。おかげで外に出るのもおっくうになる始末である。それでも健康のためとマスクをして散歩に行く。これからは花粉がもっとひどくなるだろう。黄砂でもくしゃみとか、目がかゆくなったり結膜炎になったりする。どうかしていると肺にも影響するのではと心配にもなる。

外で仕事をしている人たちはえらいなあ、と思う。だいたい土木工事は2月か3月までとなる。一番忙しい時期なのである。公共工事も減らされて、小さな工事でも奪い合いをして何とか食いつなぐ時代だ。田舎ほど土木の請負会社は多い。そして競争に残れないところは淘汰されてしまうのである。

春一番がふいいてきたら春もすぐそこだ。受験生には今が一番試練のとき、実力を発揮して目指すところに行ってほしい。あ~鼻がむずむずしてしてきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

悲しい道連れ

11日午後2時35分ごろ、群馬県伊勢崎市安堀町のJR両毛線安堀第1踏切で、母子とみられる2人が高崎発伊勢崎行き下り普通電車(2両編成)にはねられ死亡した。(毎日新聞)

40歳の女性が踏み切りに入り、電車に轢かれて自殺を図ろうとしたが、7歳の次男が後を追いかけてきたので、思わず抱き上げて一緒に電車にはねられた。すぐ近くには長男だけが残されていた。

とても悲しい話である。きっと子どもだけは生きて欲しかったのだろうが、まだ7歳に子どもには母の気持ちなどわかるはずはない。9歳の長男にしてもわからないだろうが、どうして死を選んだのだろう。

子どものことを考えるのならもっとがんばって生きてほしかった。事情も知らずに勝手なことを言う立場ではないが、何とか生きる道はあったのではないだろうか。次男だって生きる権利はあった。余りにも悲しすぎる事件である。

ネットで自殺予告をする人を95人思いとどまさせた、とニュースにあった。日本には自殺する人が多い。毎年3万人を越えている。男女がふたり抱き合って列車に轢かれて死んだケースもあった。もっと希望、喜びを平和を与えてくれる社会にならないといけない。そのために何ができるのか。考えていかないといけない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

失われた者

イエスが「人の子が来たのは失われた者を尋ね出して救うためである」と語っておられる。

今、40年前に一緒に卒業した同窓生の名簿を確認している。約300人近くいるのでみんなの名前を思い出せるわけではない。ただ名前だけでは顔を思い出せない。ある人が当時の卒業アルバムを持ってきていたので、わからない人物は改めて顔を確認することをした。

同窓会の案内のために、どうしても最近の住所がほしいのであるが、10年以上前に作成されたものでも空白の人が何人もいる。同窓会を運営するメンバーは10名足らず、みんな男性なので女性の同窓生に対しては消息を知らない人が多い。

今度は女性も参加してもらおうと言うものの、女性の運営するメンバーがいない。それで1組から7組まである名簿を最初から確認する作業を昨晩行なった。クラスによってはほとんど確認できているが、あるクラスは空白が多い。担当者がいないか、ちゃんとできる人がいないのだ。

一応、ひと通り名前を挙げて確認するものの、ある人に対しては話が盛り上がり、昔の出来事を懐かしんだりするのだが、ある人ではだ~れも知らんのである。光と影なのか。同窓生でも人気がある人もいた。人気がないというか、存在が感じられない人もいた。それで今でも話題になる人もあれば、そんな人いたっけ、とかわいそうな扱いを受ける人もいるのだ。

失われた者を尋ね出していかないといけないという思いに駆られた。できるだけ、脚光を浴びなかった人を何とかして、今どうしているのか、できるならば同窓会にも出席してほしいと願う。

主イエスも、私を尋ね出して導いてくださった。尊い救いを与えてくださった。そのことを決して忘れてはならない。自分もある人にとっては、そんな人おったっけ?といわれる存在かもしれないが、主はちゃんとすべての人を覚えていてくださるから感謝ハレルヤである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

病気なの?

ある人の話。最初はとても人当たりが良くて気がきく人だった。手先も器用で人のために尽くす。しかも徹底して尽くす人であった。だからみんなからよく思われていた。「あんないい人はいないぞ」

ところがある一定期間が過ぎて、突然、そのいい人が豹変した。恐ろしく毒づいた手紙をしかも何十枚も、よくもこんなに書けるものだ、と感心するほどに書いてきた。余りもの変化にもらった人は戸惑った。これはどうしたことだ。何がどうなったんだ。理解できない事態に混乱するばかりであった。

それを見た人が、「これは病気だ。病気のなせるわざだ」と一言。だから真に受けてうっかり返事をしてはいけない。しかし、受け取った人は黙っておれない。反対を押し切って、一つ一つに反論して返事を出した。

程なくして、それに対してお返しがやってきた。先の手紙の倍以上の量で、しかもさらにキツク、きびしく書かれてあった。「だからやめといて、といったでしょうに」それ以上はもう返事を出さなかったそうだ。

病気のなせるわざなのだろうか。医者ではないのでなんとも言えないが、少なくとも正常でないことはわかる。豹変する。何かの何気ない言葉や、ふるまい、態度に対して悪魔のスィッチが入ったかのように人が変わる。人格が変わる。

病気というより悪の霊の働きとしか言いようのない変わりようである。地域性もあるのか。ある人は地域性は大いにあるということだ。自分が住んでいる地域がそんなレッテルを貼られるのはいい気はしない。けれども統計的にみてそうだと言われれば認めるしかない。だからこそ、もっと強い思い、もっと聖霊の働きが必要である。この地域が悪の霊から解放されて、聖なる霊で満たされるように、真剣に祈っていく必要を感じる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

やねだん

鹿屋市の串良町に「やねだん」という集落がある。ここは全国的にも有名になった地域である。今の通常国会のなかで尾辻議員が麻生総理に「ぜひ一度訪ねてみてください」言った場所である。

やねだんは過疎地域であるが、集落がまとまって新しい取り組みを行ってきている。地域にある空き家を全国の芸術家などに提供して活用しているし、ほかにもいろいろと地域が取り組んできた。

サツマイモの収益金などを地域に還元して賞与として提供してきた。今輝いている地域だ。わが町もすぐ隣りにあるのに光が一向に当たらない。どうも暗いので、なんとか「やねだん」の街づくり、村づくりを参考にして元気を出してほしい。

どの市町村も今は楽ではない。特に田舎は公共事業でやりくりしてきた。それが削られて田舎の経済は疲弊するばかりである。今年は町長選挙がある。どうか活力ある人が出てきて町を活性化してほしい。モデルとなる「やねだん」という地域があるのだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ちと早かった

今日は朝早くにチャペル式の結婚式があった。朝9時からの式である。一時間前に式場に入る約束なので8時には着いた。式場は少し前に聖歌隊がひとり来ていたので、カギも開けて暖房も入れてあった。しかし、まだ寒い。

いつもよりは天候も良く、風も無かったので太陽が上るにつれ、気温も徐々に上ってくれたが、なんと言っても冬だもの寒いのは当たり前か。

なぜ9時に始めるようになったのか。それだけ式が込んでいたわけではない。新郎の都合でどうしてもこの時間となったのだ。仕事が生きものを飼っている仕事なので時間を長くあけることができないのだ。

朝9時の式は初めてだった。自分としても10時からの礼拝に間に合ったしかえってよかったのだが、招かれたお客は少々眠い目をこすりながらの参加となったことだろう。午後2時から仕事にいかないといけないのだそうだ。参加者もゆっくりと飲んで騒いでおれないらしい。ほんとにご苦労さまである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いっぺこっぺ

鹿児島県の国言葉である。あちらこちら、という意味になる。いっぺこっぺさるく。あちこちぶらぶらして歩くことである。最近は町をさるく(歩く)人は少なくなった。散歩に行く時、たいていは田んぼや川の堤防など人のいない方面にいくのだが、たまに町の中に行くと商店街にしても人とすれ違うことは少ない。

いったいどこに行ってしまったのか。歩くことよりもほとんどは車に乗って出かける。100メートル離れていたら自動車で行く、といった感じだ。自分だったら1キロ以上だったら車を使おうと考えるが、100メートルだったらさっさと歩いて行く。1キロだって時間さえあれば歩こうと思うが、車を使い慣れた人には歩くことは苦痛なのだろうか。

車は便利であるが、駐車したり、狭い所をすれ違ったりと結構気を使わないといけない。駐車場が広く、道路も広ければなんと言うことはないだろうが、昔の道路は狭いし、車も置けないところが多い。そう思うと歩けば何の心配もいらないではないか。

この前、自転車(知り合いから千円でゆずってもらったもの)であちこち行った。三段変則つきなのでそうこぐのにも疲れなかった。歩くのもいいが、自転車もいい。これでいっぺこっぺさるきたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

湯治

坂本竜馬がおりょうさんと一緒に鹿児島に来て、霧島の温泉で傷やこころをいやしたことは有名である。そのとき小松帯刀が一緒だったと、昨年の篤姫の中で説明があった。霧島温泉もいい。

鹿児島には指宿温泉もある。指宿ではなかったが、近くの開聞町だったか、山川町だったか、そこの砂蒸し風呂に入ったことがある。首から下を砂に埋めて15分くらいいると体中が熱せられて我慢できないほどになる。砂なので重い。しかも地熱で体が熱くなる。汗が吹き出てくる。

砂から上ると一目散に、すぐ近くのプール(とうぜん温泉プール)に駆け込んで体の砂と汗を落としてすっきりする。めったに砂風呂には入れないが、一度入ると病みつきになるかもしれない。

近くの開聞岳は薩摩富士と呼ばれているが、本当の富士山よりきれいに三角形を描いている。きれいだ。壮麗というべきか。大隅半島からも見ることはできるが、こんな山があるのは国の誇りだ。もっとたくさんの観光客がやってきてもいいのにと思う。

風呂とか、温泉とかはゆっくりと時間をかけて入るべきなのだろうが、性格なのだろう。時間をかけて入るのが苦手だ。一緒に家内と温泉に行くと長くて1時間と決める。女の人はゆっくりとしたいのだろう。一緒に行くと時間をもてあまして困る。それでも最近は、体のためにゆっくりと入るのもいいかも、と思うようになった。指宿でも、霧島でもぜひおじゃったもんせ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

君は愛されるために

韓国の教会で歌われている曲。「君は愛されるために生まれた」

聞いているだけでも神の愛が伝わってくる。君は愛されるために生まれた。君の生涯は愛で満ちている。今もその愛、受けている。

神の愛を受けて生きているのだけれど、残念ながら神が目に見えないのでわからない人が多い。目に見えないからといって存在しないと言い切ることはできまい。もし愛されていないのだったら、とっくの昔、滅び去ってもおかしくない。人にはわからなくとも、自分の愚かさ、罪深さは自分でよくわかるからである。

昔の写真を見ながら、あ~こういう時代もあったな~。こういうこともしていたな~。そのときにはわからなかった親や、友の愛が今だったらわかる、ということがあるのである。写真一枚からでも伝わってくる愛。神の愛はもっと大きい。自分の過ぎこし方を思い返せば神の愛はさらにはっきりと伝わってくるものである。君は愛されるために生まれた。君の生涯は愛で満ちている。今もその愛を受けている。アーメン。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

友の消息

今年の夏に同窓会をすることに決まっている。それで中学時代の同窓生の現在の名簿が必要となるので、3年生のときのクラス名簿から係りを決めて調査することになった。来週に集まりがあるので何とかわからない人を調べないといけない。

気になってはいたものの、なんやかんやで先延ばししていたが、もう延ばせない。今日は時間を取って調査に乗り出した。普通だったら車を使うのだが、たまには自転車で走るのもいいか、と思いチャリを運転していった。

中学の頃は自転車が普通だった。そして学区がえらく遠く感じられたものだが、実際、今になってチャリで走ってみるとこんなに近くだったのかと思わされた。

さて目当ての同級生のところに住宅地図を片手にして尋ねた。家は壊されてない。近所の家に行って聞いてみると、数年前に病気で亡くなったということだった。両親もすでになく、だれも見取るものもいなかったのか。こちらにいなく、都会に暮らしていたこともあるが、だれもそのことを知らなかったことは残念なことだった。

ある級友を訪ねて、そのことを伝えた。絶句していた。生きていてほしかった。会いたかった。中学時代のアルバムを見ながらありし日を偲んだ。なつかしい思い出がよみがえるが、今はどうしているか。懐かしい思いと、消息が気になる。同級生でなければそこまで至らないのだろうが、同窓生とは不思議な感情がわくものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

花粉が舞う季節

2月になるととたんに憂鬱になるのは、花粉症のひとたち。自分も花粉症に泣かされている。今日は雨なので花粉は飛ばない。まだ花粉の季節には早いかも知れないが、場所によってはもう舞い始めているようだ。

報道によると今年の花粉の量はいつもよりも多い!とのこと。2倍、3倍。うれしくない数字だが、なるたけなら花粉のないところにいたい。外に出ればそんなことも言っておられないが、何とか軽くてすむようにしたいものである。

花粉対策も必要である。マスク、目薬、テッシュなど常に携行できるように。2月、3月とつらい時季を通って花粉がなくなるのをひたすら待ち続ける。忍耐だ。

昨日は花粉ではないが、桜島が噴火して噴煙をあげた。火山灰も花粉と同じように鼻や目にはやっかいである。花粉、灰とダブルパンチでますます鼻は大変な状況になる。そういうときにこそ雨が降ってほしい。雨は花粉も灰も流してくれる。全国の花粉症のみなさん。がんばりましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

携帯電話論争

学校には携帯を持たせないように、と国も地方もそのような方針を打ち出し始めている。確かに小学校や中学校で携帯を使う必要はさほどない。どうしても必要な人は例外的にあるだろうが、原則禁止という方がいいと思う。

そして携帯を使う人のマナーももっとよくならないといけない。電車などに乗ると必ず携帯はマナーもーどにするか、電源をお切りください、とアナウンスされる。会話はみんなのじゃまになる。それでも当たり構わず堂々と大きな声で話をする人がいる。聞きたくも無いのに話の内容が入ってきて、あまりいい気持ちにはなれない。もう少し小声で話せないものか。あるいは、後で電話するから、と一旦切れないものか。

電話をしてもいい場所、してはいけない場所。それをわきまえないといけない。音楽会や、講演会、寄席、もっと厳格な葬儀、あるいは結婚式など。結婚式の司式をしていると、時々途中でけたたましい音楽が鳴り始めてびっくりすることがある。呼び出し音である。最近は着歌が多いので、それが演歌だったりして苦笑させられる。自分の場合は無視して式を進めるが感じのいいものではない。肝心な誓いの場面にり~ん、り~んと鳴ったら拍子抜けとなる。

以前は式の初めに、携帯電話の注意事項を言ったこともあったが、数回でやめた。当然の常識である。それでも式の途中でかかってきた電話に応対して話をしている人にはあいた口がふさがらなかった。大あくびしたわけではないが、何を考えているのだろー。

そんなわけで、携帯は便利であるがちゃんと良識をもって使うことが肝心だ。人様に迷惑をかけないように。それはもちろん自分にもあてはまることである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

13分の1

ビル・ゲイツとメリング夫人がゲイツ財団を立ち上げ活動している。5兆円を投じて財団は設立された。昨年の11月に、五井平和賞を受賞して、その授賞式に日本を訪れた。そのときの記念講演でビル・ゲイツが語ったことである。

2007年に世界中で生まれた子どもは1億3千万人であった。そのうちの1千万人は亡くなった。ほとんどは世界の貧しい国の恵まれない子どもたちだった。「すべての命は平等の価値を持つ」というのが基本理念である。

病気、たとえばエイズ、マラリヤ、結核。戦争による犠牲、虐待、栄養失調や餓死。さまざまな形で命を奪われる子どもたち。その数が一年で1千万人。これは新生児だけの数である。日本にいるとそんなにたくさんの子供たちが亡くなっていることは実感としてしらない。

そしてビル・ゲイツの財団は何とかそのような犠牲者がでないように、政府やNGO団体、企業などに協力を求めている。

日本ではどうだろうか。日本は経済力もあれば、科学技術の力を持っている。それを十分に生かして貧しい人たちを救うことはできる。世界的に不況の波が襲って大変なときであるが、世界にはたくさんの困った人たちがいることも知る必要がある。

産経の正論を読みながら深く考えさせられた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »