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足を洗う

別に犯罪を犯したわけではない。文字どおりに足を洗うのである。教会で年の終わりの礼拝の中で、ふたり、もしくは3人が一組となってお互いに足を洗い合うのでる。洗足式と呼んでいるが、これはイエスが弟子たちの足をひとりずつ洗っていかれたことに由来している。

主イエスは食事の席で、弟子たちの足を洗われた。もうすぐしたら捕まって、十字架で死ぬとわかっていたので、弟子たちに愛を現されたのである。人の足を洗うことは普段はないことである。介護などの仕事をしている人はあるかもしれないが、普通はあまりしない。

相手も辞退されることもあるだろう。実際に、主イエスが足を洗っているときに、弟子の一人ペテロは「わたしの足を洗わないでください」と辞退を申し出ている。しかし、イエスは「もしあなたの足を洗わなかったら、あなたとわたしとは何の関係もなくなる」と言われた。すると、ペテロは「それでは足だけでなく手も頭も」と余計なことを言ったのである。

足は毎日使う場所である。そしてホコリや泥などがついて汚れる。(昔はそうだった。)今はきちんと靴下に靴を履いているので汚れないが、昔は毎日、家に入るときには足を洗っていたのである。

足は日々の歩み、すなわち私たちの生活である。生活すると汚れれもつく。どんだけ悔い改めればいいかわからないほど、罪汚れに染まってしまう。だから足を洗う必要があるのだ。今日はお互いに足を洗い合ってお互いが清められた。愛する心が与えられた。赦す心が与えられた。一年の汚れを足を洗うことによってきれいに洗い流すことができて感謝であった。恵みの礼拝。主に感謝。

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