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2008年12月

ちょっと

今日からお出かけする。場所はいえないが、場所ではなく、心の旅に出かけたい。神を信じる者は霊の世界にはばたく必要がある。ちょうど年末年始はそれに適しているように思う。巷ではにぎやかに過ごすであろうが、そんな喧噪から離れてじっくりと見つめ直してみるのもいいのではなかろうか。

過ぎし一年のことを振り返り、新たな一年に向って何を願い、何を期待するか。漠然とではなく確信になるものがほしい。最近は科学の力が発達して、自分の血液からあとどれくらいの寿命かを予測できるそうだ。だれだって長生きを望むだろうが、こればかりはわからない。若いときは命についてはさほど真剣に考えなかった。しかし年を重ねていくにつれて、人の命はいつまでも続くものでないことがわかってきた。

それに自分の生活から、このままだったら、と先が読めるようになった。このままではいけない、と思いつつもどうすることもできない焦りもやってくる。それで、もう一度、原点に戻ってみるのも必要と思ったのである。「神に近づきなさい」と聖書は言う。本気で、真剣になって近づかないといけない。今こそそのときと思う。しばらくは更新もできないが、戻ってきてからどれくらい変化したか、自分でも楽しみにしている。

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足を洗う

別に犯罪を犯したわけではない。文字どおりに足を洗うのである。教会で年の終わりの礼拝の中で、ふたり、もしくは3人が一組となってお互いに足を洗い合うのでる。洗足式と呼んでいるが、これはイエスが弟子たちの足をひとりずつ洗っていかれたことに由来している。

主イエスは食事の席で、弟子たちの足を洗われた。もうすぐしたら捕まって、十字架で死ぬとわかっていたので、弟子たちに愛を現されたのである。人の足を洗うことは普段はないことである。介護などの仕事をしている人はあるかもしれないが、普通はあまりしない。

相手も辞退されることもあるだろう。実際に、主イエスが足を洗っているときに、弟子の一人ペテロは「わたしの足を洗わないでください」と辞退を申し出ている。しかし、イエスは「もしあなたの足を洗わなかったら、あなたとわたしとは何の関係もなくなる」と言われた。すると、ペテロは「それでは足だけでなく手も頭も」と余計なことを言ったのである。

足は毎日使う場所である。そしてホコリや泥などがついて汚れる。(昔はそうだった。)今はきちんと靴下に靴を履いているので汚れないが、昔は毎日、家に入るときには足を洗っていたのである。

足は日々の歩み、すなわち私たちの生活である。生活すると汚れれもつく。どんだけ悔い改めればいいかわからないほど、罪汚れに染まってしまう。だから足を洗う必要があるのだ。今日はお互いに足を洗い合ってお互いが清められた。愛する心が与えられた。赦す心が与えられた。一年の汚れを足を洗うことによってきれいに洗い流すことができて感謝であった。恵みの礼拝。主に感謝。

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孤独死

ご老人のこととばかり思っていたら、そうでもなかった。24日の午後にマンションで亡くなっていた飯島 愛さんのことだ。まだ36歳で、今はタレント活動をやめていたそうだが、誰にも気づかれずにひとり寂しく亡くなっていたと聞いてショックを受けた。しかも死後1週間は過ぎていたらしい。

原因はわからないが、自殺の可能性も否定できない。しかし新しく事業を始める直前だったというから、そんな時に自殺をするのも考えにくい。腎臓に疾患があったそうだから病死の方が有力かもしれない。

いずれにしても1週間も誰にも気づかれなかったことに驚いている。東京の真ん中に住んでいて気づかれないなんて。だから東京砂漠というのか。なんとも寂しい、悲しい話である。その人に対しては詳しいことはわからないが、少なくともひとりくらいは友だちとか連絡をとりあったりするものだろうに、そんな深い付き合いができなかったのか。

有名な人だったからニュースになって大きくマスコミも取り上げているが、若い人で孤独死している人が他にもいるかもしれない。仕事を切られた人とか、これからも起こり得ることだ。老人だけが孤独なのではない。若者でも、普通の人だったとしてもわからない。本当に知り合い同士、よく連絡を取り合って消息を確かめる必要がある。すごい時代になったものだ。

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去れば、さらば

26日。打ち合わせのために結婚式場に出かけた。部屋に入るとBGMが流れていた。「もういくつねると~」の曲。メロディにあわせてつい歌ってしまいそうになるが、それにしても昨日までは間違いなく「ジングルベルとか、赤い鼻のトナカイとか、きよしこの夜とかの曲が流れていただろうに、クリスマスがすんだとたんにお正月かいな。

結婚式場にお正月はなんなんだろう。キリスト教式から急に神式(神道)に変わったような雰囲気さえある。まあ、日本人は宗教よりも慣習を重視するところがある。正月は神道、お盆や彼岸は仏教、クリスマスにはキリスト教と使い分けている。器用なのか、節操ないのか、そんな国民性がある。

もういくつねるとお正月と小さい頃は楽しみにしていたものだが、今はそんな楽しい感覚はなくなった。特に今年は不景気だし、いつどうなるかわからない不安定な時代だ。決して明るいとはいえない。それでも容赦なく年は明ける。そう思うと公務員の人は安定しているからいい。商売している人や臨時で雇われている人にとっては、明日がわからないので不安な思いでいっぱいだろう。クリスマスも祝えなかった、正月が来ても何の楽しいこともない。否定的になると全てがそう思えてしまう。

来る2009年に期待して生きたい。どうなるかは誰にもわからないのだから。好転していくことを望んで、いい年でありますように。

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汗かいた!?

昨夜はK教会で合同のクリスマス会を持った。夜6時前には雨が降っていた。せっかくなのに何で雨が降るの?と残念な気持ち。教会のMさんを乗せるので寄ってから教会に行った。いつもは自分の教会で行なっているので、他の場所に行くのもたまにはいいな。そんなに気を使わないですむし、と勝手なことを考えながらハンドルをとっていた。

教会に着くと数人は来ていた。早速、いろいろと準備に取り掛かった。時間まで20分ほど。結構時間はあっと言う間に来るもんだ。時間になったので、こちらの主導で始めることにした。すでに予定の椅子は埋まって来ていた。一緒に賛美をしているとほとんどの人が集まった。6時半は結構あわただしい。用事を済ませてくるには焦る時間帯だ。

礼拝では説教をさせてもらったが、いつもと勝手が違った。焦った。いや汗かいたので、汗った。それはファンヒーターの風向がこちらに向けられてがんがんにたかれていたからだ。それで向きを変えてもらった。それだけではない。いつもと違うのは、顔ぶれが違うのもあった。それにいつもはマイクを使って話をしているので、ここでは使っていないので、声を大きく出す必要があった。それと、話がちゃんと伝わっているのか、少々不安な気持ちにもなったことも原因だ。

いつもは「アーメン」と話の途中で相槌を入れてくれるので、反応にこちらも手ごたえを感じるのだが、昨夜はあまりあ~めんがなかった。すると空回りしているのではと汗ばむのである。それでも予定より10分もオーバーしていた。時計の見間違いもあったが、えらい時間たつのが遅いなあ、と自分では思っていたら、30分間違っていたのである。みんなには言わなかったが。急いでしめくくった。

一部の礼拝のあと、食事会に移り、少ししてから自己紹介をしてもらったが、簡単な紹介と思っていたら、一人一人が3分、4分とかかるではないか。これでは大変と、途中で簡略にしてもらった。その後、いっしょにビンゴゲームを行なった。25マスを花や、動物と名前を一つずつ書いてもらってタテ、ヨコ、ナナメと5つ揃ったらビンゴとなるのである。1番から3番まで賞品があった。これは結構楽しかった。時間が大幅に食い込んだのが予想外。

合同ということで新鮮な気持ちで、楽しく過ごすことができよかったと思っている。これからも合同でやっていけたらいいと思った。

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クリスマス前夜祭

今日の夜、教会でクリスマスパーティを行なう。ほとんどクリスチャンが集うと思われるが、知り合いや家族の人も参加する。クリスマスは何と言っても教会でお祝いするべきだ。教会こそクリスマスの元祖なわけだし、それを知らないでただ、パーティをして、おもしろおかしく過ごせばいいと思っている人がいる。

え?教会でもクリスマスすんの?って聞かれた日には何と答えたらいいのか、困ってしまいそうだ。最近は神社や、お寺でもツリーを飾ってあるところもある。キリストから遊離したクリスマスが行なわれていることに何の違和感がもてないことに驚く。

さて、教会のクリスマスパーティとはどのようなものか。まずはクリスマス礼拝を持つ。クリスマスの賛美歌を歌ってから、聖書のメッセージがあり、それから祝福のお祈りをする。それで礼拝は終わるが、その後、今度は食事会となる。持ち寄りということで、参加者が一品ずつ持ち寄って食事を行なう。クイズやゲームなどを行なって楽しく過ごすのである。場合によってはプレゼント交換もするが、今回は行なわない。

すべてが終わると、最後にキャンドルサービス。ひとりずつロウソクを手にして、照明を消して「きよしこの夜」を歌いながら、もう一度主イエスの誕生を深く思うときとする。なぜイエスはお生まれくださったのか。そして最後に十字架で死んでくださったのかを思うのである。本当のクリスマスのとき。さいわいなときとなる。では、メリークリスマス!

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誕生日

今日は全国的に祝日となる。天皇誕生日である。冬休み前、しかもクリスマス間近という日程なので、実にあわただしい。それで実感として、今日は休みなの?とあまりありがたみも感じない人がいるのではなかろうか。

天皇は今年で75歳になられる。最近、体調が気になり、恒例の記者会見はなくなった。それでもお元気で一般参賀には出ておられた。皇室のことを週刊誌がいろいろ書いているようだが、そっとしておいてほしいものだ。天皇も人の子である。気苦労も多いだろうし、なんと言っても公務が多い。一つも気を抜くことはできないから、大変だと思う。いつも元気でいないといけないし、いつも同じ気持ち、感情でいなければならない。

いつまでも元気でいてほしい。そう多くの人は願っている。皇室はわからない部分が多い。それでも個人の人権があっていいと思う。信仰にしても自由に信じていいのではないか。固定されると差しさわりのあることが出てくるのはわかるが、一度しかない人生に、拘束されることばかりでは息もつまる。そんなことを考えるのは、何の拘束もない一般人だからできることかも知れない。

今日は誕生日である。わが家は日の丸を表に掲げることはしないが、向かいの家では律儀に国旗を掲げておられる。誕生日といえば、クリスマスはキリストの誕生日である。明日がクリスマス・イヴだ。教会ではクリスマス祝会を夜に行なう。天候もよさそうだし、たくさんの人が来てくれることを願っている。今回は隣町のK教会で合同で行なうことになっている。

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いのちの電話

京都いのちの電話が殺到してつながらない状態だという。2回線で24時間態勢で受け付けているそうであるが、ここ最近はかけてくる人たちが多くて、つながらないのだ。ひとりの人に時間をかけて相談相手となるので、よほどタイミングがよくなければ通話中が多いと思う。

自分もかつて教会の働きで電話相談をボランティア(教会では奉仕)をしたことがある。時間は夕方6時から夜10時までの4時間を2時間交代でやるのだったが、ひとりの人の電話で2時間を費やしたことが何度もあった。それでも足りなくて続けて3時間とか話したこともあった。今にして思えば、せいぜい1時間で切り上げるようにした方がいい。

1時間も話せば結構内容はわかってくる。後は同じことを繰り返して言う場合が多い。だから要点をつかんで話すようにすればそんなに時間をかけないほうがいいのかもしれない。といっても人によって深刻度は違うから一概にはいえない。

ここ最近は派遣切りにあって、職も住居も追われて行く当てのない人が増えた。そのことを反映しているのだろう。電話悩み相談がパンク状態になる。どこにこの気持ちを持って行けばいいかわからない人もたくさんいる。ホームレスの人たちに食事を提供している人が、今は以前の1.5倍になった。若い人も増えてきている、と語っていたが、寒空に震えながら生きている人たちがいることを思う。

何とかなければならない。どげんかせんといかん。

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クリスマス・サンデー

今日はクリスマスの日ではないが、教会は日曜日に礼拝を持つので、大体の教会ではクリスマス礼拝や祝会が今日のうちに行なわれる。わが教会は礼拝を午前のうちにもった。特別なことはなかったが、普段はあまりしない証をある方にしてもらった。

この方は奥さんなのだが、昨年から義理のお父さんが病気で入院されて、一年と2ヶ月を毎日病院に通い看病しながら、家の仕事をされてきた。今年の夏にお父さんは亡くなられたのだが、それまで大変な中をがんばって来られたわけだ。

忙しい中だったので、教会の礼拝には月に一度来れたら良いほうだった。出たくても出れなかったのである。それでも黙々と家の手伝い、これもハードな仕事である。その合間に病院まで通い、時には一晩中看病しなければならなかった。

証を聞きながら本当に大変だったけれど、よく耐えてこられたなあと感謝した。人はひとりでは生きられない。われわれは何もできなかったが、いつも覚えて神の祝福があるように、お守りがあるようにと祈ってきた。互いに支えあい、励まし合って生きることは人として幸せなことである。彼女も教会のみなさんの祈りに感謝すると感謝のことばがあった。

われわれは神に愛されている。神の熱心な思いによって救われた。そして今も生かされている。万軍の主の熱心がこれをなされる。成就される。もっとわが町にも主の熱心な思いが伝わるようにしたい。そう思っている。

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安くはなったが

一時180円台だったガソリンが100円を切るまで下がっている。車を使う者にはありがたいことである。毎週のようにガソリン単価が下がっていて、今やどこのスタンドでも車が入っている。前だったら、月末にいっぱい入れておかないと、月が変わると値上がりしたのもだ。

ガソリンが下がったけれど、車は売れない。不景気の波があちこちに影響を及ぼしている。車でも燃費の悪い大型車は敬遠される。なるたけ燃費のいい車がこれからは人気となろう。軽自動車とか、リッターカーとか、ハイブリッド車などが売れ筋となるはずだ。

中古でも排気量の大きいのは売れない。燃費もだが、税金や保険料など割高になるし、修理費も部品代が割高になる。高級車はもう庶民には必要ない。レクサスでなくとも、軽自動車でもほとんどの機能がついている。ただ軽は動力がないのは仕方ないが、近辺で運転するのであれば軽で十分間に合う。

もうパジェロのような大きな車ははやらない。駐車するのも難儀だ。好きな人は乗ればいいとは思うが、自分はいらないな。

来年に入ると検査がやってくる。10年が過ぎて、走行距離も13万キロを越えた。もう1回検査を受けるべきか否かで思案しているところだ。買い換えるにはお金がかかる。検査してあと2年乗るのもいいが、もしかしたら2年のうちに走らなくなるかもしれない。今のところ全然問題はないと思っている。

それにしても、検査とか、保険料とかなんとか、車は経費がかかるものだ。なかったら生活に支障があるし、もう少し金がかからなければいいのにといつも思う。

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またカニ?

ワイフが仕事場にいたと、カニを持ってきた。仕事場といっても海ではない。大きな公共の建物の中である。普通はカニなど入る場所ではない。きっと誰かが服にか、靴に、あるいはバックなどにつけて来たのではないか。それとも、カニが見つかったので連れてきたか。ドウカニ?

家に連れてきたときはうれしそうだった。前のはずっと飼っておくわけに行かなかったので、海の近くまで連れて行って逃がしてやった。今度はしばらくは飼う気でいるようだ。箱に入れてえさをやっている。えさといってもなにやってんのか知らない。ときどき、がさごそと動いているので、最初はびっくりしたが、最近はカニか、よう元気でいるな?と。

カニが動いているのをみながら、ワイフは「かわいい!」と喜んでいる。カニにとったらさぞや迷惑なことかもしれない。早く出してくれよ~と。猫がいたらきっと捕まえてしまうだろう。幸い猫は二階にいるから、ここまでは来ないが、こんな小さなものにもちゃんといのちがあることに驚く。そして人は地球の征服者のように、地球の生きものたちを自分のものかのように考える。

それでいいのか!そんなことをひとりほざいてみても詮無いことじゃ。いきものがかり、という歌のグループがある。今年の紅白に初出場するが、なんという変わった名前と思ったら、学校でいきものがかりをしていたそうだ。うさぎなどの動物が飼われていることがある。生きものの世話は好きでないと苦痛になる。

彼らは生きものが好きだっただろうし、そんなやさしい心があったから、グループ名にもそのような名がついたのだと思う。カニさんもいきものだ。しあわせになってほしい。

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携帯

橋下大阪府知事が小中学校の生徒に携帯電話を学校に持たせるべきでないと発言し、いろいろな意見もあったが多くの大人たちは賛同している。確かに学校に持っていく必要があるだろうかと思う。

GPS機能がついていて、今わが子がどこにいるかがわかるので必要だ、という親もいるだろう。私立の学校に通わせている人は、電車とかバスとかに乗りついで登下校しないといけない。それならば携帯があるとすぐに連絡が取れるので便利だが、公立の場合はたいてい歩いて通う範囲なので必要性は少ない。

むしろ携帯を使ってしょっちゅうメールばかりして、授業中も集中しない生徒がいることに問題がある。携帯に集中する力を授業に生かせばぐっと成績も上るだろうに。それを正しく収められない先生も弱いと思うが、もっと骨のある教師が必要だ。

おそらくかなりの小学生、中学生は携帯を持っているだろう。高校生にいたっては持っていない人が少ないはずだ。今まで普通に家でも、学校でも携帯を使っていたのを、規制するのは生徒には抵抗があるかもしれないが、そこは親がしっかりと教えるべきである。教師も頭ごなしに強制しないで、お互い気持ちが通じるように話をすることだろう。

中にはひとときも手放せない、やや病気のような人もあろう。しかし、学校は一に勉強する場である。不必要なものはなるたけ持ち込まないようにして、勉強に集中するのがいい。

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とりなし

とりなしとは、その地域のために祈って霊的な解放が与えられるように願うことである。日本の各地において、現在もとりなしの働きがおこなわれている。日本ではかつて戦によって多くの人の血が流されてきた。そして憎しみや恨みなどの怨念が渦巻いている。

どこにどのような怨霊があるかは歴史をひも解かないとわからない。とりなしをする人たちはそのような下調べをしてから臨む必要がある。そうでないと闇雲にただ祈っただけでは霊の解放が十分得られないからだ。

宮崎において今週はとりなしがなされる。このために専門に活動されているN先生が仲間を何人か連れてやってくる。さらには霊的に強い韓国の人たちがこのためにツアーを組んでやってくる。日中は各地に行って、夜は教会で集会が持たれる。およそ三日間だそうだ。

ただでさえ忙しい師走だ。教会にとってはクリスマスシーズン。そんなときに時間をとってとりなす人たち。何よりも霊的な呪縛を解き放つ働きが必要と考えているからであろう。確かに日本の霊性は暗い。そして重い。酷い犯罪が多発するのも霊的な働き、しかも悪しき霊の働きがあるからだと思う。解放されたら、その地域は清まる。変化してくる。そのような期待が持てるのだ。

わが鹿児島ももっと解放されなければならない。とりなしが本当に必要である。

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仙巌園

篤姫のドラマも終わってしまった。視聴率の高い大河ドラマだった。何と言っても幕末のことを詳しく知ることができたのが大きな収穫であった。薩摩の人たちによって、新しい明治が生まれたといっても過言ではないだろう。

さて篤姫である於一にしても、尚五郎こと小松帯刀にしても、西郷、大久保にしても、島津斉彬の影響を受けた人たちである。それぞれの人生を精いっぱいに生きて、斉彬の意思を継いでいった。島津のことは、島津家別邸である仙巌園に行くとよくわかる。ここにはドラマでも出てきた場所であり、ロケにも使われていた磯庭園がある。バックを桜島にした庭園である。今もきちんと整備されていてきれいである。

この仙巌園は結構広くてじっくりまわっていたら時間がかかる。時間のあるとき、四季折々に訪ねたらいい。昨日は天候もよくて気持ちよかった。どこの場所でも時代劇のロケができそうな歴史を感じさせるものがある。

薩摩藩が先がけに行なった殖産興業。生糸の加工、織物、ガラス工芸の薩摩切子、薩摩焼、。また富国強兵。鉄砲や大砲の製造など。同じ敷地にある尚古集成館にいくといろいろ収められている。斉彬は中国がイギリスにアヘン戦争で負けたことを聞いて、恐怖を抱いた。軍備をしっかりしないと日本もいずれは戦に負ける。それで財を貯え、国を強くしようと願ったのである。その意思が西郷、大久保により引き継がれていった。

ぜひ一度、仙巌園に行かれたらいい。入場料は千円で、庭園も、集成館も同じ券で入れる。落ち着いた雰囲気がいい。

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牧師会で、

今日は恒例の牧師会が鹿児島の教会で行なわれた。ここの教会は団地にあるのだが、昨年に隣地を購入された。駐車場として整地され、舗装されていた場所なので、教会としては願ってもない土地だったのである。

そして今年は、その土地の持ち主だった家も購入される。あなたの天幕の場所を広げよ。聖書の言葉だ。その言葉の通り、毎年、少しずつ天幕が広がっていることになる。ずっと前には地価も高くて手が出さなかったのが、最近は事業がうまくいかなくなって銀行のものとなって競売にかけられ、安くなっている物件が多い。

ここ最近はもっとそうだろう。いくら安くなっても買えない。購買力がなくなってしまっているのだ。そんなときに教会では手に入れることができたのは、神の恵みといえる。

この牧師会に宮崎から来られた宣教師の方があった。席が隣りだったので、しばらく話をしていたら、今は大学生を対象に伝道活動をしているとのことだ。完全とはいえないが、日本語を積極的に使って話をされる。こちらもつい英語を使いたくなるが、日本語で通して会話をした。

「教会に人が来るように、夜8時頃から、翌日6時頃までお祈りしたら、いつもより倍近くの人が来ました。」さらりと話される内容に圧倒された。祈ったら人がたくさん来た。そんだけ祈りに即効性があるのか。たまたまかもしれないが、来ると信じて祈ったから人が来たのだ。漫然と時間を費やすだけではそうはならない。

それにしてももっと祈らないといけないと示された。教会がもっと祝されるために、牧師が祈らないと始まらない。この先生は断食祈祷、徹夜祈祷、、とよく祈られる。まだ若い先生だけれど、本当に積極的で、熱心である。刺激を与えられた。

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今や蟹工船時代

広島のマツダで人員削減により、リストラされた人が職を失うやいなや、広島市に生活保護を申請して何人かが受理された。期間従業員などの給料はどんだけだったのか。貯金もできなかったのだろうか。辞めてすぐに生活保護というのもあまりにも寂しい話ではないか。受け入れられたということは、よほど困窮していなければそうはならないだろうから、働いていた人たちはぎりぎりの生活だったということか。

まだ仕事があって、雇われている人たちも、もし今やめさせられたら路頭に迷う運命と悲観している人もあるだろう。日本は経済大国といわれてきたが、これが現実なのだ。会社の利益はこのような人たちによって得られてきたいた。それなのに真っ先に切るというのは、理屈に合わない。かといってどうすることもできないが、資本主義社会の裏の世界なのだ。政府はこのような人たちに本当の救いの手を差し出すことができるのか。

今こそ共産党の出番なのか。20世紀の遺物のような感もあったが、こんなに冷え込んではすがる気持ちはどこでもいいとなるのか。キリスト教会でも年末になると、救世軍の人たちが「社会鍋」を出して、そこに集められた浄財で、貧しい人たちに少しでもと助けの手を差し伸べている。昨年は2800万円集まったそうだ。みんなの善意である。ある教会では炊き出しなどしてホームレスの人たちに配っている。寒さの厳しい時世だからこそ、わずかなこころが身にしみ、心にしみいるのである。まさに蟹工船の時代に帰った気がする。

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『わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、癒しがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。』(マラキ4:2)

《犠牲によって備えられた恵みを喜ぶ》
◆牛へんで代表的な漢字に「犠牲」があります。どちらにも牛がついています。牛へんに「義」、牛へんに「生」。あわせて犠牲となります。旧約聖書では牛は聖い生き物としてイスラエル人に食べることが許可されましたが、何よりも民のための罪の身代わりとして羊とともに牛もいけにえとして捧げられました。これは主イエスがすべての民のために命を捧げて十字架におかかりになる予表であったのです。◆子牛がはね回るとあります。実際に牛舎に閉じ込められていた子牛が、外の広いところに出されたらはね回って喜びます。かつてわが家にも牛を飼っていた頃がありました。確かに子牛は外で走り回るのが好きなようです。思いっきり解放されるのでしょうね。◆主イエスを信じて、罪から解放された人はまさに子牛のようにはね回りたくなるほど喜びがわいてきます。救われた喜び、解放。それは主イエス・キリストの十字架の犠牲によって与えられるものであります。

上の記事は鹿児島の一麦(ひとむぎ)書店のホームページに載せられたコラムである。かいたのは自分であるが、一年以上前に書いたもので、すっかり忘れていたが、ようやく今回載ることになった。牛といえば来年の干支である。おそらく多くの人が、年賀状に牛の絵を使って作成中のことだろう。そう思えば、タイミング的によかったのかな。牛は聖書にきよい動物として出てくる。日本でも牛は貴重なものとして養われている。

年賀状のカット集をみると、ほとんどが乳牛である。ホルスタイン。鹿児島はどちらかというと、黒毛和牛がほとんどで、乳牛は馴染みがうすい。しかし牛は顔がかわいいものだ。臆病なところもあって、音とか動きに反応する。いつも口をくちゃくちゃ動かしている。かつては牛を飼っていたが、牛のえさを作るために草を刻む機械に手を挟ませて切断し右手の半分を失った。それでも牛を恨む気は少しもない。事故も人生の一ページ。いろいろなことがあって、彩がなされるわけだから感謝している。

一麦書店のホームページ http://www.d2.dion.ne.jp/~hitomugi/index.html

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今年の世相を表す一文字は「変」に決まったそうだ。それを聞いて、変かあ?なんで?と思った人も多かろう。自分も何で変なん?と言ってしまった。一文字で表すことのむつかしさか、その真意を理解するのが容易ではない。

変化だったらchangeとなり、アメリカの次期大統領オバマ氏のトレードマークになる。いい意味と受け取れるが、変人とか、変体では変な奴のイメージが強く悪い意味にもなる。この一年が良い年だったと思う人がどれくらいいるか。初めはよかったが、終わりがはなはだよくなかった年となるようだ。

そういう意味では「変」はあまりいい意味では使われていない気がする。承久の変とか歴史で習うが、変は乱とも置き換えられる。波乱の年といえばそうだな、と納得がいくかもしれない。順調に景気も来ていたのに、金融危機がアメリカから発進されると、日本にもその波がまともにやってきて、今や不況の嵐の中にいる気分である。

株価は下がり、円高に歯止めが利かない。政治は混乱して体をなさず、ますます混乱は深まるばかりである。暗い、冷たい、寒い。冬だからではない。そのような日本の現実が今なのである。どうやって年を越して、正月を迎えようか。本当に今日生きることにも困難さを覚える人が増えている。不安は募るばかり。変化、変革、変身。変わりたいと願う人が多い。願わくば変をそのように捉えていきたい。

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保険

保険の人がやって来た。前はブライダルの営業をしていた人だ。職を保険の外交に変えたという。保険も外資系のものだ。最近はアメリカ系のものは警戒されつつある。不景気なときなので、一番切り詰められるものはなるたけ切り詰めてと考えるようになった。

そこで食費や衣類、、、保険はどうだろう。考えようによれば、不安な時代だからこそ、ちゃんとした保険に入って、もしものときに助けてもらおう、となるかもわからない。よく先々を考える人は保険に入ろうとするだろうが、今の生活が大変だと思う人は、かけていた保険を解約して、それを生活費に回すかもしれない。

そんなことで保険の話を聞きながら、意外と実際に加入している保険の中身を知らないでかかっている人が多いようだ。定期ものはよく注意しないと掛け捨てになるらしい。ふ~んと言いながら聞いていた。今更、保険に入るには年を重ねているし、掛け金も高くなる。だから彼は自分には勧めなかった。息子や孫にどうかということだった。はて、どうでしょうか?ひと通り説明を聞いた。

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リストラ

景気が悪い。それも急激に不景気の波が津波のようにやって来た。大手のトヨタもキャノンも、そうしてソニーまでも従業員の削減を通告した。ならばと、これからは雪崩を打ってリストラの嵐がやってきそうだ。

今までは部分的なものだったので、かわいそうにと思っていたが、ソニーといえば鹿児島にも国分に工場がある。地元の若者も高校を卒業したら就職している。知り合いも何人かいる。もしかしてだいじょうぶだろうか、と心配になってくる。キャノンだって大分に工場があるが、だいじょうぶだろうか。

だんだんと波は全国的に襲って来ている。内定取り消しも、今は300名ちょっととなっているが、本当はもっといるような気さえしてくる。非正規雇用だけでなく、正社員もこれからはどうなるかわからない。明日はわが身と多くの人は不安を覚えていることだろう。

なぜこのようなことになったのか。アメリカ発の金融不安が発端だろうが、もっと早く防ぐ方法はあっただろうに、今ごろになって政府は慌てている。付け焼刃てきな政策ではこの波は乗り切れない。まさしく未曾有の艱難である。

なのに国は政争にばかり気が行って、国民の暮らしをよくしよう、不安を取り除こうといった政策は後手後手となっている。自民も民主もどの政党も、今こそ国を守る、国民を守るといった真剣な思いをもって、協力し合う必要がある。

失業者があふれ、住むべき家を持たない人が増えてしまったら、ますます荒れてしまう。何とかしないと国は滅んでしまう。たのんますよ。麻生さん。

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きばいやんせ

先日の同窓会のときに、久しぶりに親友のTくんと話をした。5年ほど前に奥さんをガンで亡くし、二人の子どもを育てている。おじいちゃんも85歳になるという。子どもは上が高校1年生の娘と、下が中学2年生の息子である。

自分で測量の会社を経営しているが、ほとんど一人でやっている。従業員はいない。補佐をその都度頼んで賄っている。今は土木などの公共工事が激減して仕事もない。かろうじで今は、畑の灌漑事業や、田んぼの圃場整備などがずっと前からの計画で行なわれているので、仕事はあるようだ。

年度の後半はそれでいいが、前半は仕事がなくなる。それでも生きていかないといけないので営業をしながら、測量の仕事も自分でやっている。家では家事もやらないといけない。おじいちゃんもだいぶ衰えてきているから心配だと言っていた。

聞いているだけでしんどいやろなあ、と同情したが、あともう少しの辛抱だ。きばいやんせ、と言うしかなかった。みんな苦労しながら生きている。家族のこと、仕事のこと、自分の体のことなど心配事は尽きない。元気でいることがなりよりも感謝するべきことだ。還暦もみんな元気で顔をそろえられたらいいなあと思った。

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幸満ちゃんの事件

ここに至ってようやく幸満ちゃん殺害、死体遺棄の容疑者が逮捕された。まだ殺害は認めていないが、おそらくそうであろうと思われる。21歳の知的障害をもった男性ということで、警察もマークはしていたであろうが、障害があることでどうすべきかを検討したと思う。

しかし、幸満ちゃんの衣類を入れたレジ袋から容疑者の指紋が見つかって、それが決定的な逮捕の根拠になった。袋から容疑者の頭髪も見つかったようだ。いずれ殺人も自白するのではないか。

今まで何の進展もないかのように、忘れ去られようとしていた矢先に、突然逮捕の知らせ。京都の舞鶴でもそうだったが、急に容疑者を逮捕する。非常に慎重の末であろうとは思うが、報道が急なので何かあったのだろうかと思うほどだ。

5歳で最後を迎えなければならなかった幸満ちゃんのことを思うと、本当にかわいそうでならない。まだこれからいっぱい楽しいことも体験できたはずなのに。母親も自分を責め、悔やんでいることだろう。責めても、悔やんでもどうしようもないことはわかっていても、自分が守れなかったという責め苦は一生負わなければならないのだ。たとえ犯人が捕まり、処罰されようとも、それは変わることはない。

どうしてこのような悲しい事件が多く起きるのだろう。人のいのちを大切に思わないのか。罪は人を不幸にする。これはどのような時代でもいえる。これ以上、不幸な出来事が起きないように祈るばかりだ。

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同窓の忘年会

急に同級生のH君から電話があって、今日の夜、「○○で忘年会をするけど来ないか?」「は~、行こうか」ということで俄かに参加をお願いした。会費は2500円。いや、安いな、と思った。みんなはボーリングをしてから、○○に来るとのことで、自分は先に会場に行くことにした。ということはボーリングは誘ってもらえなかったということでっか。

まあ、気分を落ち着かせて○○に行くと、あれ、朝会ったM木材の社長が来ている。長男が中学時代にバスケで世話になった人だ。朝会った時には、長男のことをさかんに尋ねていた。ここでまた会うなんて、しかも同級生ではないのに。彼はただここの常連として来ていただけのようだ。この○○も同級生がやっている店である。この同級生とは中学時代によく一緒に遊んだ仲だ。どちらかというと勉強しない組みであった。今は立派に店を構えている。あの頃はやせていたのに、今は相撲取り顔負けのお腹をしていた。ちったやせんといかんどぉ。

同級生は20名以上が参加した。最近出戻った人もおり、久しぶりな顔に懐かしさがわいてきた。何で戻ったか、国家公務員の身分で高給取りだったのに、お客との対応で疲れて、仕事ができなくなったらしい。心臓が圧迫されて呼吸困難に陥り、脳にまで苦しさが襲ってくる。よほどだったのだろう。定年までまだ7年もあると考えると、このまま仕事をしていたら死んでしまう。そう思って潔く辞めた。今は家で静養しているようだ。風貌がすごかった。髪の毛を伸ばし放題、髭も伸ばし放題、みんなから仙人と呼ばれるほどだった。髪も髭も白髪交じりだったので、どこのおじいさんだろう、と一瞬思った。とても同級生とは思えなかった。独身で一人暮らし。大変なんだなーと聞いてため息が出た。

ある人は、「最近結婚しました」と言って、奥さんを連れてきていた。この年になって新婚か、みんあから冷やかしの言葉があちこちとあった。同級生で結婚していない人は何人かいる。いまさらとは言わせない彼の結婚は、何かみんなを安心させた。

夜8時から始まった忘年会。行って見ると数人が先客で来ていた。一人は先日、斎場で会った坊さんHくん。仏とキリストと信仰の対象は違うが、彼とは話が会うし、信じて生きることの共通性がある。先日の葬儀で、自分が焼香のときに、焼香しないでただ手を合わせて祈っている姿を、お経を唱えながら観察していたようで、「やっぱり、焼香しなかったね」と。「よくそんな余裕があったね?」とこちらも応じた。

気がつけば11時。会計は一人4000円。えっ?2500じゃないの?マ、仕方ないか。Mくんとこの売り上げに協力してあげよう。酒も飲まない人にとっては少し損した気分もするのであった。みんな元気でなにより。来年は盆のころに全体の同窓会をするようだ。中学卒業40周年ということで。何でも記念にはできるのだが・・。

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鹿児島と言えば

地域発のミニFM番組が電話で日本各地の観光課などに突撃取材を放送中に行なっている。「ダーツに聞いて」という番組である。その中で、パーソナリティのMさんが必ず聞くことがある。それは、「鹿児島だと何を思い浮かべられますか?」とか「イメージされますか?」という質問である。

それに対して、ダントツに多いのが「桜島」である。確かに桜島は鹿児島の象徴である。市内から観る桜島は圧巻だ。わが大隅からは残念ながら高隈山にさえぎられて見えない。噴火したときにもくもくと上る噴煙は見えるが、本体は垂水まで出ないと見えないのである。

次に「焼酎」である。鹿児島には何十箇所と焼酎工場がある。大手のものは数えるほどだが、ほとんどは小さな工場。それぞれが特長を出して商品を出しているのだ。違いはよくわからないが。

次に黒毛和牛、黒豚となる。生産農家が多いし、立派な血統の和牛も多い。さらには「お茶」なのだが、これが知る人が少ない。社会で鹿児島は茶の生産量は静岡に次いで2番目に多い、と習う。知覧、鹿屋、曽於、志布志といろんな所で茶の栽培がなされている。まだまだ鹿児島の良さはある。

昨日、NHKで「おーい、ニッポン」の鹿児島編が放送されていた。ウナギの養殖、海産物、サツマイモなど。さらには篤姫にまつわる話。島津家。西郷、大久保など。歴史と関わった人たち。話せば尽きない。

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40年前

中学生だった。あの頃、8時だよ!全員集合、とかやっていた。火曜日の夕方、事故にあって右手を損傷。痛い思いをしながら病院に入院していた。もう10月だった。3年生なので、ほとんどのクラスメートは高校受験に向けて勉強している。

自分は高校なんて行く気はなかったから、遊んでばかりいて成績も下のほうだった。それが事故である。何か手に職をつけて将来は生きようと思っていたのが、手がなければ職も身につかない。痛い、痛いと病室でうなっていたが、内心はこれからどうしょうと暗い気持ちになっていた。

今日の夕方、実家に行ったら、あのときに病室に見舞いに来てくれた人の名簿を再度作り直している、と父に聞かされ40年前のことが思い出された。名前にある人を聞かされてもピンとは来なかった。同級生が毎日見舞いに(遊びに?)来てくれていたらしい。Mさんという女の子が毎日来ておった。??記憶に全然ない。

人の情けや、気持ちは大事にしていかないといけないな。田舎はまだまだ人の情け、温情がある。残っている。Mさんはどんな気持ちで来てくれていたかはわからないが、ありがたいことだ。40年前の記録を取っておく。複雑。何かの役には立つのかなと思った。

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おばの葬儀に出た

92歳になるおばが昨日亡くなった。近所の斎場で葬儀が行なわれたので、今日それに列席した。おばは12年間、近くの病院が経営する施設に入っていた。お見舞いに行っても、だれが来たかを識別できない状態だった。

ほとんどが寝たきり状態。年が重なって来ると見舞い客もなく、ほとんどが忘れられた感じになっていた。夫も2年前に亡くなったのだが、葬儀に参加することはなかった。自分の意思も体自体も働かないから動けないのである。

介護を本来であれば家族のものがするべきなのだろうが、家族も生活がある。思うようにはできなかったようだ。それに対して親戚からも批判はないわけではなかった。もし、自分の親が動けなくなったら介護できるだろうか。これは深刻なことである。

老老介護の果てに、70過ぎの娘さんが疲れ果てて、絶望の末に百歳になる自分の父を殺す事件が、宮崎市であった。本当に仲の良い家族で、親子ともども地域の人たちから信頼され、尊敬されていた。地域のためにずいぶん貢献されてきた家族だった。しかし、介護の限界が来たのだ。

今は娘さんが被告となって訴えられている。何とか刑を減免してほしいと、地域の人たちが中心になって6000名の署名を集めたそうだ。検察は猶予はしないという。これから先にも起こりうることだ。もっと真剣になって介護福祉のことを論じていかないと、善良な市民が犯罪を犯さざるを得ないことになる。高齢者は増えるのだから。

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当たらなかったようだ

来年から始まる裁判院制度の候補者にあてられた書類が先日郵送された。わが家には今もって届いていない。ということは当たらなかったということか。こういうものは当たらない方がいいのかな。宝くじは当たってほしいけれど。

宝くじといっても買っているわけではないが、ここ最近の不景気で少しでも生活に足しになればと、多くの人が買い求めていることだろう。けれども当たったがために、知人に殺され埋められるという悲しい事件も起きた。何がさいわいで、何がわざわいかわからない。

くじは今でもいろいろな種類があるようだ。スクラッチとか、totoとか、考えようによればパチンコだってくじみたいなものだ。生まれてからこの方、一度もパチンコ店に入ったこともなければ、パチンコをやったこともない。

だからえらい、なんて言えないが、この地域ではパチンコ店だけはいっぱいある。昔は地元の小さなお店しかなかったのが、今は国道沿いに大型店が進出して駐車場も大きくとっている。これでは地元は勝ち目がない。ほとんどの地元の店は閉じられている。大型店の駐車場は普段でもいっぱいである。これでメシ食っているのだろうか。

額に汗して働くよりも、一攫千金、楽して暮らしたい。仕事もないし、これで儲けられたらいい。けれどもほとんどは出るときもあれば、負けてすってんてんになることもある。ゼロか、マイナスになると思う。プロは違うかもしれないが・・。

なにはなくても、今あるしあわせを感謝して生きていくことが肝心ではないか。貧しくもなく、富みすぎもせず、ちょうどよい暮らしでいい。感謝することを忘れないようにしたい。

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無血開城

篤姫もあと数回で終わる。江戸城が火の海になって、大奥にいる人たちが城攻めで刃の犠牲にならずにすんだのは、篤姫の功績による。同じ薩摩の出身で倒幕の将として江戸に接近している西郷隆盛に必死の請願書を幾島により手渡した。

それから義理の父になる島津斉彬から篤姫宛に出された文などを勝海舟を通じて手渡した。篤姫の働きが奏功して、江戸城は戦にならずに大奥の人たちも全員解放された。

それにしても西郷は、徳川幕府を徹底して倒す決意でいた。徳川を倒さない限り新しい時代はやってこないという信念に立って進んでいた。その信念をくつがえしたのは、戦争よりも会話によって新しい国を作ろうと勝などの働きかけに動かされたものだろう。

大久保利通や、岩倉具視には不満だったようだが、その選択は正しかった。西郷の決断があったからこそ明治は生まれた。徳川家も滅びないですんだ。篤姫、西郷、大久保、小松帯刀と幕末に生きた人たちにより、明治は誕生した。歴史は新しく変わっていったのである。薩摩にそのようなダイナミックな力があったのである。

平成の日本。今こそ日本を変える力が求められているときだ。残念ながら、今の政治家でそのようなダイナミックな力を持った人が見当たらない。女性でもいい。篤姫のような気骨のある人は現れないものか。

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2週間で修復

浅田真央がNHK杯を制して見事優勝した。女子フィギアのソロは日本勢が独占して終わった。その中でも真央はダントツの演技で一位を獲得したが、2週間前ロシアで行なわれた大会ではジャンプがうまくいかず、まさかの2位となってしまった。

新しいコーチとうまくいかない部分もあったのだろう。調子はそんなに悪くないはずなのに得意のジャンプが失敗した。女王浅田がの顔がひきつっていた。

NHK杯ではそのような不安は見せず、堂々とショート、フリーとジャンプを決めていた。これぞ本来の真央ちゃんだ、と見ている観客やテレビ観戦している人たちを安心させた。さすがに2週間で、よくぞここまで回復したものだ。さすが感心した。

今度はファイナルだ。ライバルのキムヨナとの対戦。実力的にはそんなに差はない。今回のような演技ができれば勝つことは十分可能である。ただ会場が韓国なので少し不利かもしれない。会衆は韓国の人が多いだろうから。がんばってほしい。

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